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辛毗とは?曹丕と曹叡を諫めた忠臣の物語

2023年3月7日


 

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曹操の元で仕える辛ピ(辛毗)

 

辛毗(しんぴ)は嘗ては袁紹(えんしょう)の元におり、袁紹の死後は息子の袁譚(えんたん)に仕えていました。その後は紆余曲折あり、曹操(そうそう)に仕えることになります。

 

曹丕に向かって問う辛ピ辛ピ(辛毗)

 

そして皇帝となった曹丕(そうひ)を支えて……というか諫めることに定評がある人です。しかし辛毗は曹操、曹丕だけでなく、曹叡(そうえい)の時代にも(周囲を(いさ)めることで)活躍しました。その活躍の一端を、ご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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とにかく曹丕を諫めた辛毗

辛ピ(辛毗)

 

さて別記事で詳しく書きましたが、辛毗と言えばあの曹丕、それも皇帝となった後の曹丕相手でも遠慮なく諫めることをした人です。飢饉の際に大量移民をさせようとした曹丕を諫める(痛み分け)、(きじ)狩りを楽しむ曹丕を諫める(成功)、呉に出兵した曹丕を諫める(結局途中で引き返した)……。

 

曹丕にビビって意見を言えない家臣達

 

曹丕に「どうしてお前はそうも厳しいことを言う」と言われていますが、それでも曹丕は辛ピを遠ざけるようなことはなかったようです。

 

 

曹丕崩御

曹丕

 

そんな曹丕も崩御しました。次の皇帝は曹丕の子、美貌で有名な曹叡です。当時、朝廷では劉放(りゅうほう)孫資(そんし)の二人の大臣が勢い盛ん。新しく皇帝となった曹叡からも気に入られていたと言います。

 

となれば周囲はこの二人にできるだけ気に入られようとしました。人々はまるで列をなすかのように二人と親しく付き合おうとしましたが、辛ピはそういった人々に同調するようなことはありませんでした。

 

 

息子(※辛憲英の弟)

 

これを心配したのが息子の辛評(しんしょう)です。「父上、あの二人からもし睨まれたら大変ではありませんか?」息子の心配ももっともですが、辛ピは笑って息子を諭しました。「曹叡様はまだ聡明まではいかずとも暗愚ではない、あの二人に睨まれても危険なことなど何一つもないよ」

 

余談ですが辛ショウくん、お姉ちゃんとの逸話でもそうですが、ちょっと頼りないけどきちんと周囲の人に話を聞いて相談できる子ですね。

 

 

やっぱり諫める辛毗

 

さてこの後、辛ピを中央政治に関わらせようぜ!と尚書僕射(しょうしょぼくや)のお話が上がります。ただこの時に辛ショウの不安が的中したのか、劉放、孫資の反対があってそれは取りやめになりました。因みにこの時に二人は「辛ピ殿は誠実で信頼できるけど、強情で妥協するということを知らない」と言っています。割と正当な評価だ

 

曹叡

 

その後、別役職に就けられた辛ピは曹叡の宮殿造営を何度も諫め、それは聞き入れられなかったものの北芒山(ほくぼうざん)の後事の時はこれを聞き入れられることに成功しています。兎にも角にも粘り強く諫める人です。

 

 

曹叡を諫める(※なかったかもしれない)

趙雲に討たれる張コウ(張郃)

 

後、諸葛亮(しょかつりょう)の北伐が始まります。この時に司馬懿(しばい)の失策により歴戦の武将である(ちょう)コウが戦死しました。曹叡は張コウが討たれたことを哀しみ、陳羣(ちんぐん)もこれに同意しています。

 

しかし辛ピはこれに反論。「今国に求められているのは皇帝陛下と一人の将軍、どちらと言うのですか!」と発破をかけ……たという話ですが、これは「なんか言い方が辛ピっぽくない」と信ぴょう性が疑われています。

 

敵を相手にして奮闘する張遼

 

何気にここに張遼(ちょうりょう)が引き合いに出されたりしてます。そりゃ張遼作戦ミスで死なせたら司馬懿の首も逆回転よ

 

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周囲も諫める辛ピ

北伐でやりあう曹叡vs孔明

 

そうこうしている間に始まったのが五丈原(ごじょうげん)の戦いです。この時、魏は持久戦を選び、迂闊に諸葛亮と戦わないように申し付けられました。しかし持久戦は不満が強く出ます。

 

そこで曹叡は辛ピを司馬懿の元に派遣しました。派遣されてきた辛ピは血気に逸る諸将を静粛にさせ、皆、辛ピには従ったと言います。兎にも角にも周囲を諫めることに長けている人物ですね、辛ピは。

 

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三国志演義での辛ピ

司馬懿

 

因みにこの五丈原の戦い、三国志演義(さんごくしえんぎ)でもきちんと描かれています。諸葛亮と持久戦を行う司馬懿に、反対する諸将。敵の挑発に不満が爆発しそうな魏軍の元に到着したのが、既に80も超えた辛ピです。辛ピは司馬懿の意を組み、諸将を落ち着かせます。

 

不審に思った諸葛亮が魏軍を探らせると、黄金の(まさかり)を持った厳めしい老人が軍門に立ちはだかって魏軍は動かないという報告が。

 

「ああ、ああ、その老人は辛佐治(しんさじ)であろう」諸葛亮は辛ピが出てきたことで、自分の挑発が成功することはないと悟ったのでした。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

辛ピのお話でした。三国志演義とは違い、正史では司馬懿が血気に逸って張コウを討ち取られ足りとしている所を見ると、辛ピが派遣されたのはそんな司馬懿を落ち着かせるための可能性もありますね。

 

三国志を語るセンさん

 

ともあれ、曹丕だけでなく、曹叡、そして魏の諸将と、辛ピが諫めて宥めた人物は多数。全く持って国には欠かせない人物ではないか、と思いました。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

どぼーん。

 

参考文献:魏書辛ピ伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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