NHK大河ドラマ「どうする家康」これまで筆者もファンタジー大河だの時代考証がオカシイだの色々苦言を呈してきましたが、最近は良い意味で「どうする家康」の真価が発揮されてきたようです。今回は、ジャニーズのイケメンが主役を張る「ただのスイーツ大河」ではない「どうする家康」の凄さを紹介しましょう。
戦国の価値観を忖度なしにぶち込む
近年の戦国時代大河で筆者が辟易していたのは、戦国時代の時代劇を21世紀の価値観で改変してしまう風潮でした。日常的に人が死に、人身売買が横行する社会を21世紀の自由、平等、人権のような定義で改変するのがどうにも不愉快だったのです。しかし、どうする家康10話「側室どうする?」では、そのような21世紀に忖度した価値観が一瞬でぶち壊されました。城下の築山で家康と仲睦まじく過ごす瀬名に対して、姑の於大の方が「次の子はまだか?」と言い出したのです。
それに対し家康が「こればかりは天からの授かりものですからと」21世紀的な言動をして、瀬名もうなづくと、於大は「子供が産めない女は女として終わっている」「私は男女6人の子供を産んだ」「松平家繁栄のために側室を置いて、もっとポンポン子を作りなさい」と21世紀ならセクハラ、マタハラ案件確実の暴言を立て続けに言い出し、我慢できなくなった瀬名が拳を振り上げて於大に殴りかかり、家康が止める事態に発展します。これだけ容赦なく戦国時代の価値観を堂々と電波で流すのは「どうする家康」以前には無かった事じゃないかと筆者は思います。
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戦国の世は於大が普通で瀬名が異質
どうする家康では、序盤から瀬名と家康が、あまりにも21世紀の人間みたいで白けるという評価がありました。筆者もそう思っていましたが、それは計算だったのです。制作者は、最初から21世紀の価値観を持つ瀬名や家康の対比として、於大の方や織田信長を置いて、いかに戦国時代が21世紀の価値観からかけ離れた異質な時代かをより際立たせようと考えているのでしょう。
視聴者は、その意図にハマり、於大の一言、一言にギョッとしたり、そんな事を言って大丈夫かと思ったでしょう。しかし戦国の世では於大の感覚が普通で女性の人権はほとんど無いに等しかったのです。
21世紀の視点を交えつつも価値観は戦国時代で進む
瀬名は意図的に21世紀の人権感覚を持った感じで描かれていますが、ドラマは容赦なく戦国の価値観で進んでいきます。それは瀬名の目線から見ると今後も地獄絵図が展開される事を意味しています。視聴者は瀬名の目線に立ち、戦国の当たり前を貫く登場人物の非情さや残酷さ、身勝手、理不尽さに打ちのめされるでしょう。どうする家康のすぐれた点は、今と違って戦国はヒドイ時代だよね?ではなく良い悪い関係なく、そういう時代が過去にあったとフラットに見せる手法を確立した点にあると言えますね。
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