戦国時代最大の敵は味方?泥棒と殺人が繰り返される危険な陣中[教科書が教えない日本史]

2023年3月28日


戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

日本中が毎日戦争状態だった戦国時代。命の値段が極めて安いこの時代にあっても、合戦での戦死率は格別でした。しかし、当時の戦場で気を付けないといけないのは、実は敵だけではないのです。

 

今回は、戦場に横行する泥棒の被害について紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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合戦の脅威とはズバリ!

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

合戦の脅威とはズバリ!

 

味方同士で、武器や防具の盗難があり金品は殺されて奪われるケースもあった。です。

 

このように戦場では敵だけではなく、味方による武器防具の盗難、あるいは金品を所持していると殺されて奪われる事があったのです。敵以外にも味方に警戒しないといけないなんてシンドイですね。さて、結論を書いた所で戦国時代の泥棒について細かく述べてみましょう。

 

戦国の悪習 員数合わせ

足軽b-モブ(兵士)

 

戦国時代も後期になると、大名も力をつけて足軽を大量に動員できるようになります。それと同時に財力をつけてきた戦国大名は、武器や防具を、手ぶらで従軍してきた足軽に貸し出すようになりました。これをお貸し具足(ぐそく)と言い、今風に言うとレンタル用品です。

 

さて、組織化された足軽はそれぞれ組同士で団結し、手柄や恩賞を巡ってよその組と激しくいがみ合うようになります。こうして、ある組にいる足軽が戦場のドサクサで備品を失うと必然的に

 

「おぅ!いけすかねェ隣の組から盗んできてやろうぜ」

 

という話になり、何の落ち度もない隣り組の足軽の備品が紛失するという可哀想な事例が多く起きたのです。もちろん、取られた足軽もこのままでは、無実の罪で叱責(しっせき)され罰を受ける事になるので、また、別組の足軽から隙を見て備品を奪います。こうして、奪い・奪われる争奪戦が繰り広げられ、一番最後に備品を奪われた足軽が貧乏くじを引く結果になりました。

 

 

吉内左衛門の災難

羽柴秀吉(足軽時代)

 

しかし、員数(いんすう)合わせはまだ微笑ましい部類でした。備品だけでなく、太刀の鞘の金銀の(こしら)えや、槍の上逆輪(かみさかわ)金箔(きんぱく)銀箔(ぎんぱく)を引き()がすような、悪質な泥棒も存在したのです。

 

足軽の装備なら値段も知れたものですが、騎馬武者の従者として従う小者は、主君の高価な太刀や槍を預かる事も多々あり、戦場でくたびれてウトウトしている隙に金箔を剥がされたりすれば、最悪です。雑兵物語にも、吉内左衛門(きちないさえもん)という小者が主人の槍持ちをしていて、疲れて眠っている間に、槍の上逆輪を盗られてしまい

 

「いかなる死罪に処される事か、俺はもう罪人と同じだ」

 

と激しく落胆し悔やむ場面が出てきます。ところが、戦場で死ぬのも手討ちにされるのも同じと吹っ切れた左衛門は、手柄を立て失態を帳消しにしようと奮闘。敵の騎馬武者を討ち取るという金星を挙げ主人に処罰される事を免れたそうです。

 

殺人事件まで起きていた

 

災難だった左衛門ですが、泥棒に殺されなかっただけ幸運かもしれません。被害者が眠っている間に盗みを済ませられない器用じゃない泥棒は、戦場のドサクサで被害者を殺し金品を奪う事もあったからです。

宋銭 お金と紙幣

 

特に最悪は銭で、これは名前が書かれているわけでもなく盗まれても足がつきませんから、大金を持っていると悟られたが最期、首から紐を掛けてもっていれば紐を切られて奪われ、もし、懐に大事に仕舞うと刺殺されて、金を盗られる事もありました。

 

そこで、心得たベテラン武士は、

 

「最初から盗まれそうな金銀の拵えを刀や槍には施すな、それが一番安全だ」と口をそろえて注意しています。

 

確かに戦場のプレッシャーに加えて、味方に殺されるかも知れないと日夜ビクビクしたのでは、とても手柄を立てる所じゃありませんね。ただ、高価な金銀の拵えは戦場で目立ち、軍目付や味方に自分の手柄をPRする小道具でもあったので、安全を取るか目立つほうを取るかは中々の難問でした。

 

万が一の為の金

戦費負担で貧乏になる鎌倉武士

 

しかし、地獄の沙汰(さた)もカネ次第という言葉通り、戦場で最後にモノを言うのはカネだったりもします。その心得で、絶対にバレないように(かぶと)の中にカバーを貼って、その中に小判一枚を折り曲げて忍ばせている武士もいました。これなら、兜を盗まれない限りカネを取られる心配はありません。いつも兜をかぶらないといけないので、しんどい話ではありますが…

 

さて、この兜、主が戦死したのか、お金が隠されている事を知らないままに兜が盗まれたのか、現代まで伝わり、とある時代考証家が骨董屋で購入。色々調べているとカバーの内側に何かあるのに気づき、剥がすと、そこから折れ曲がった小判が出てきたそうです。

 

戦国の頃の小判なので金の含有率(がんゆうりつ)も高く、かなり高値で売れたとか何とか…

 

陣中の盗みは厳罰だが・・・

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

泥棒だらけの戦国時代ですが、陣中での盗みは軍律で見せしめとして死罪と決められていました。織田信長は、例え一文でも盗めば斬罪として、いわゆる「1銭斬り」とされる厳しい軍律を課して、勢力が拡大していく織田軍団に悪評が立たないように苦心しています。

 

ただ、自軍の中では泥棒禁止でも、それが敵陣では一定の条件下で、むしろ泥棒は奨励されもしたのですから、色々倫理観が崩壊して、泥棒に手を染める兵士も後を絶たなかったのでしょう。

 

関連記事:これはヒドイ!戦国時代のサバイバル雑兵物語

 

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

合戦の脅威とはズバリ!

味方同士で、武器や防具の盗難があり金品は殺されて奪われるケースもあった。でした。戦国時代も終わり島原の乱の頃ですが、その頃でさえ「陣中は盗人の巣と言うぞ、あまり目立つ刀は仕舞(しま)って置け」と傾奇者(かぶきもの)の若侍に注意するベテランの武士がいたそうです。

 

その傾奇者は忠告を意に介さず「戦場では目立ってなんぼよ!」とそのまま鞘を金で飾った太刀を差して戦いますが、戦闘の最中に鞘の金の部分だけをごっそり剥がされたようです。合戦の最中に盗みができるような相手では、もう、どうにも防ぎようがありませんね。

 

参考:〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫) 文庫 2007/3/15東郷 隆 (著), 上田 信 (イラスト)

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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