督郵と言えば、郡守の命令で領内を回る監察官の事です。この督郵、正史では劉備に二百叩きされ、三国志演義では張飛にシバかれた事で有名です。しかし督郵を酷い目に遭わせたのは実は劉備だけではなかったのです。今回は地位が低いわりに、ひどい目に遭わされる督郵について解説します。
この記事の目次
汚職督郵張苞を拷問死させた満寵
督郵をシバいたもう一人の人物、それが魏の満寵でした。そもそもこの満寵自身18歳の時に督郵になっていて、郡内で私兵を率いて暴れ回り、農民を傷つけていた李朔という男を太守の命令で捕らえて拷問。その余りの恐ろしさに李朔は二度と略奪行為をしなかったというおっかない男です。
その後、高平県令になった満寵ですが、その頃、張苞という人物が督郵になりました。こいつが汚職野郎で、あちこちから賄賂を取って県の政治を乱しました。そこで満寵は張苞が宿舎に居る時を狙って兵を率いて押し込んで逮捕、贈賄の罪を白状させようと情け容赦なく拷問に掛け、その日で殺してしまいました。やりすぎたと思った満寵は、その日で県令を辞め故郷に帰っています。
いやあ、怖いですねぇ、、三国志演義の張飛でさえ殺すまでは行かなかったのに、満寵は役目で捕縛して涼しい顔して拷問に掛け即日死ですよ。督郵は監察の役割ですから、命令によっては容疑者を逮捕して自供を取る必要から容赦がない拷問に掛けたんでしょうね。だから賊の李朔は震え上がって、二度と略奪行為をしなくなったと考えると、怖い事に辻褄があってしまうのですが・・
実は劉備が悪かった?とばっちりでシバかれた督郵
正史三国志では劉備が督郵をシバいて官を捨てて逃亡したとされています。その原因というのが、劉備が督郵に挨拶にきたのを督郵が拒否したので、恥をかかされた劉備が兵を引き連れて官舎に押し込んでシバいたという、よく分からない内容です。
しかし、こちらは、裴松之が補った魏略によると具体的な詳細が見えてきます。
それによると、黄巾賊討伐で手柄があった劉備は安喜県尉(警察署長)のポストを得ましたが、当時朝廷は黄巾討伐で手柄を立てた義勇軍に役職を大判振る舞いした為、財政が圧迫され、増え過ぎた役人を大量リストラせよと郡県に詔を出しました。可哀想な話ですが、大した後ろ盾がない劉備は、真っ先にリストラ要員に入ってしまい、くだんの督郵は、劉備に解雇を通告する為にやってきたのです。
この督郵はたまたま、劉備と顔見知りであり劉備は知り合いの誼で決定を覆してもらおうと面会に来たのですが、中央の決定を覆す権力など持っていない督郵は気が重く、病気と称して劉備との面会を拒否したというのが真相でした。これを逆恨みした劉備は、兵士を引き連れて官舎に押し入り、全てを督郵のせいにして鞭でシバいたのです。督郵からすれば自分の落ち度ではない全くのとばっちりでした。
しかしまぁ、劉備も理不尽な事をしている自覚はあったのか、怒りが醒めると県尉の印綬を捨て、どこかに逃亡しています。
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大した地位ではない督郵がクローズアップされる理由
満寵には拷問で責め殺され劉備には逆恨みでブッ叩かれる督郵ですが、その地位は地方官である太守の配下で下から数えた方が早い端役でした。例えば、孫策に仕えた呂範は孫策と碁を打っている時に自分を督郵にして下さいと頼みますが、孫策は呂範の今の地位と比較して、督郵では格下げになるからダメだと断ります。このように督郵は地位としては大したものではないですし、俸給も六百石です。
しかし、督郵は監察という地位で、県の役人の治績・治安・法規・徴税・軍事などを調べて評価し、それを太守に報告する役割であり、役人の秘密も握りますし、評価について手心を加える事が出来る地位でもありました。有能な人間が督郵になれば、役人の正しい評価が行政の長に伝えられ、地方組織が円滑に回る一方で、無能な人間や私腹を肥やしたい人間が就任すると、そこに汚職が生まれるわけで地位の低さの割には重要な役割だったのです。
呂範も一度は孫策に断られますが、督郵が組織の為に重要なポストである事を再度説明した結果、孫策に受け入れられています。
そのポストの重要さ故に恨まれた督郵
満寵や呂範のような有能な人々も就いたポストである督郵。しかし、それだけに、監察と評価という地方の役人の地位を左右する地位である督郵に対する風当たりはかなり強かったようです。これは三国志演義の話ですが、督郵をシバいた現場に出くわした関羽は、
「兄者は数々の大功を立てながら、任じられたのは県尉の地位、それも督郵風情に侮りを受ける。思えば、イバラの中は鳳凰の住処ではありませぬ」とボロクソ言っています。
ここでは督郵が大した地位でもないのに監察の権限で人の弱みを握ったり、でたらめを吹き込んだりして人を陥れる存在である事が現れているのです。
三国志ライターkawausoの独り言
呂範が督郵になったときの描写として、礼服を脱ぎ捨てて乗馬服に着替えて鞭を持ち、役所の前まで行って自らが督郵の任を預かっていると宣言するシーンがあり、その声で役人は粛然としたと書かれています。督郵が地方の役人にとってかなり怖く、恐れられた存在である事がわかる一文であり、これで性格が悪かったり腐敗役人だったら、そりゃあ恨まれるでしょうね。
参考文献:正史三国志
参考文献:完訳三国志
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