東京タワーの建設中に死亡した人数は何人?

2023年4月30日


 

東京スカイツリー、kawausoさん

 

東京タワーは、昭和33年12月23日に高さ333メートルの電波塔として完成しました。敗戦からわずか13年で、世界最高の電波塔を建設する技術は世界を驚かせました。しかし、大きな工事には事故が付きものです。東京タワーの建設中に死亡した人数は、いくつだったのでしょうか?調べてみました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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東京タワーの死亡事故は1件

日本史01 煙を吐く工場

 

東京タワーの建設は、昭和32年6月29日から昭和33年12月23日までの1年半で完成しました。完成予定日は決定していたので、工事は強行スケジュールで黒崎建設の鳶職400人が朝6時から夜6時までフル稼働し、休みなく働いていました。当時は、現在のようなハーネスもなく、命綱を着用せず、幅30センチの鉄骨の上を歩き回る危険な環境でした。当時は鉄骨を接続するリベットを高熱で熱して鉄のバケツに入れ、下の階から上に放り投げ上で作業員がやっとこでキャッチし、リベットが覚める前にハンマーで打ち付けるという危険な作業をしていたようです。しかし、この工事中に死亡したのは、強風で煽られて落下死した鳶職人1人だけでした。

 

昭和33年の計説現場での事故死は1846人

蜀の兵士

 

東京タワーの建設中にこのような悲しい死亡事故が起こりましたが、昭和33年に全国の建設現場全体で死亡した人数は1846人にも上りました。当時は、現在のような安全基準が存在せず、多くの作業員が危険な作業現場で命を落としていました。これを考えると、安全面に問題があったとはいえ、世界的な大工事で死亡事故が1人だけで済んだのは驚異的なことかもしれません。

 

東京スカイツリーでは死亡事故ゼロ

東京大学 kawausoさん

 

この教訓を生かし、日本の建設業界では安全性に配慮し、法整備も進んでいます。厚生労働省によると、令和3年度の労働災害による死亡者数は867人で、前年度よりも65人増加しましたが、昭和33年に比べると1000人近く少なくなっています。また、東京スカイツリーの建設では、死亡事故がゼロとなりました。

 

情報ソース:厚生労働省HP

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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