蜀の丞相として知られ、三国志を知らない方でも一度は耳にした事がある諸葛亮。
そして戦国時代豊臣秀吉に仕え、その智謀をいかんなく発揮し大河ドラマにもなった名軍師・黒田官兵衛。
両者は互いに優れている点があります。
今回は諸葛亮の卓抜な内政の手腕に着目し、諸葛亮が黒田官兵衛よりも優れている点を紹介したいと思います。
諸葛亮の卓抜な内政の手腕とは?
諸葛亮は内政に優れた人物ですが、いったいどこが優れているのか。
彼のエピソードを交えて紹介していきましょう。
蜀の国力増加に努める孔明
諸葛亮は宿敵・魏を討伐するために蜀の国力を増加させる必要がありました。
そのため諸葛亮は蜀の国内の経済発展を行います。
まず諸葛亮は益州の農業生産を増加させるため、都江堰に堰官と呼ばれる水利を管理する官職を作り、水利管理を行います。
また諸葛亮は蜀の生産品の塩と鉄の生産力を増加させることで、大きな利益を上げることに成功。更に諸葛亮は蜀の特産品となっている錦の生産にも力を注ぐことで利益の増加を図っていきます。
上記二つの経済政策に加えて益州に保有されている銀山を開発し、武器の製作を行い、魏を打倒するために力を蓄えていきます。
このように諸葛亮は色々な経済政策を行うことで、蜀の内政を整えていき、蜀の国力増加を行っていきます。
そして諸葛亮は蜀の内政を整えた後、新たな経済政策を進める為、ある地方に目を付けます。
諸葛亮が目を付けたのは、劉備の死後反乱を起こした益州南部でした。
益州南部を開発して大きく国力を増加させる
諸葛亮は劉備の死後、蜀の南部で反乱を起こした反乱勢力を討伐するため出陣します。諸葛亮はただ反乱勢力を討伐するために出陣したわけではなく、蜀の国力を増加させるため、蜀の南部を開発する目的も秘めていました。
諸葛亮は諸将を引き連れて蜀の南部で反乱を起こした勢力を討伐することに成功。その後諸葛亮は蜀の南部から戦に耐えられる馬や金・銀・漆など提供するように命令を与えます。
更に諸葛亮は蜀南部を開発することに力を注ぎ、蜀南部の異民族が保有していた漆などを蜀の国有化することにも成功します。
更に諸葛亮は討伐した異民族の領土から民衆を益州へ移民させることで、人口の増加を図ります。このように諸葛亮は蜀内部での経済政策や蜀南部を開発することで、蜀の国力を大きく向上させることに成功するのでした。
黒田官兵衛よりも諸葛亮の方が内政面では優秀
上記で諸葛亮の内政面での政策を紹介してきました。
黒田官兵衛も豊臣秀吉から領土を与えられた際、内政を行っていました。
黒田官兵衛は街づくりや築城術に優れ、豊臣秀吉の居城となった大阪城や日本三大水城として知られる中津城、福岡城など多くの城を作り出しています。
このように黒田官兵衛は街づくりや築城術に優れています。しかし黒田官兵衛の内政政策は地方の行政であり、諸葛亮が行った国家の内政政策の方が優れていると思うのですが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
諸葛亮の行った国家の経済政策と黒田官兵衛が行った地方行政の手腕ですと規模が違いすぎて比較できないかもしれません。
しかしもし黒田官兵衛が国家政策を担ったとしたら、諸葛亮と同じような手腕ができたのでしょうか。
実際に黒田官兵衛が国家政策に携わっていない為、わかりませんが、レンは黒田官兵衛が国家政策をうまくできなかったのではないかなと思っています。
なぜ黒田官兵衛は国家政策を担うことが出来かなったのか。
それは黒田官兵衛が街づくりや築城術に優れている実績を残していますが、経済面や内政に関する政策面の実績が少ないからです。そのためもし黒田官兵衛が国家政策を担うことになった場合、実績が少ない事から、諸葛亮のように国家政策をうまくできなかったのではないのでしょうか。
■参考 正史三国志蜀書など
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