中国語を学んだり、中国へ旅行したことのある読者は京劇という言葉を耳にしたことがあると思います。北京旅行では生で見たという経験をした人もいるでしょう。
しかし、日本の歌舞伎のように歴史や面白さが伝わってこないという読者もいるはずです。ここでは、京劇のルーツに始まり、京劇の代表作を通して京劇の楽しみ方を紹介していきます。
京劇のルーツ
京劇と聞いて、北京で流行した伝統劇かなと推測した読者もいるでしょう。しかし、もともとは安徽省の劇団が行っていた地方劇の一つだったのです。それがなぜ北京を意味する京の字がついたのでしょうか。
清朝の乾隆帝が京劇のパイオニア!?
中国人のイメージといえばラーメンマンのように辮髪にヒゲを想像する読者もいます。その容貌が当たり前だった時代が清朝です。
英国とアヘン戦争を行ったのも清朝、編み込んだ長い髪は満州族の風習を市民に強要したものだったのです。清朝の最盛期は乾隆帝が統治していた時代。西はウイグル、南はミャンマーやベトナム、ネパール、東は台湾、北はモンゴルにまで版図を広げていました。
さらに乾隆帝は北京にある天壇や頤和園の造園、故宮の修繕など現在の北京にある歴史的な観光施設はほとんど乾隆帝の手によって造られています。少し北京を観光すれば乾隆帝の偉大さが自然と分かるでしょう。
その乾隆帝が80歳を迎えたとき、安徽省の劇団がお祝いに訪れました。中国で劇といえば、祝賀行事にかかせないものでした。日本の正月の獅子舞のような存在です。当時、乾隆帝の権力は絶大でしたから、上海に近い安徽省の劇団を呼び寄せるなど朝飯前です。これを機に安徽省の地方劇が北京に定着し、京劇となっていったのです。また、言語も南方なまりから北京一帯の北方方言へとシフトしていきました。これも北京市民の要望に応えるためだったのです。
京劇といえば「覇王別姫」
京劇の代表作に「覇王別姫」があります。もちろん軍神・関羽も人気の役柄ですが、ここでは項羽と劉邦がテーゼの「覇王別姫)」を取り上げます。
覇王とは項羽のことです。別姫とは虞美人で知られる「虞」のこと。虞は項羽の妻になったり、劉邦の妻になったりします。しかし、心から虞を愛していたのは項羽の方で死に際に虞美人のことを詩に詠んだほど。
最終的に劉邦の元に虞は身を寄せるのですが、心の中では死んだ項羽のことを想っているのです。智謀知略に長けた劉邦は軍を使って政治を行いながら、虞美人も手にします。
読者の中では項羽派か劉備派かに人気が二分するところです。政治面では失敗したものの愛する虞と幸せな時間を過ごせた項羽の生き方を支持する人もいるでしょう。
はたまた、策によって生きながらえ、最終的に虞を自分の妻に迎える劉邦の方がいいと感じた人もいるでしょう。いずれにしろ京劇でも分かりやすい内容なので初めて見るにはぴったりです。
京劇を楽しむポイント
京劇はメイクによって役柄が決まっており、「赤」は必ず関羽です。また、一人だけおとぼけ役がいて、面白いメイクをしているので、すぐに分かります。そして、女役もいます。清朝の時代は歌舞伎のように男性が演じていましたが、現在は俳優のほとんどが女性です。
普通の中国語とは異なり、抑揚のある話し方をするので中国語に精通していないと聞き取るのは難しいでしょう。しかし、あくまでも劇なのでアクションシーンや決めのポーズなどは言葉が分からなくても理解しやすいように作られています。
もし、見る機会があったら、あらすじを少しだけ学んでから出かけると楽しめるでしょう。あくまでも俳優の演技を楽しむものなので、あらすじが分かっていても問題ありません。むしろ中国語が聞き取れないのならば、前もって知っておいた方がエンジョイできます。
三国志ライター上海くじらの独り言
京劇の俳優が日本公演をした際に歌舞伎に触発されて、新しい京劇の形、演技方法を模索した時期がありました。また、文化大革命期に京劇は一時的に衰退。しかし、現在は復活し、北京や上海、大連、台湾などで見ることができます。日本で公演することもあるので、興味がそそるようなら行ってみるといいでしょう。
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