[秘話]明智光秀、斎藤道三がいなければ忘れられた英雄?

2023年11月28日


明智光秀 麒麟がくる

 

斎藤道三(さいとう どうさん)明智光秀(あけちみつひで)

 

西遊記巻物 書物

 

二人は苗字も違うし全然関係性が内容に思われます。しかし明智光秀は斎藤道三がいなければ、歴史に名前を刻むことができなかったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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斎藤道三と明智光秀の二人は親族だった!?

斎藤道三

 

斎藤道三と明智光秀にはどんな関係があったのでしょうか。ふたりの関係は親族関係でした。苗字が違う二人ですが、どうして親族関係なのでしょうか。それは斎藤道三の正妻が明智光秀の叔母だからです。斎藤道三は明智光秀の父親・明智光綱(あけち みつつな
)
の妹である小見の方をお嫁さんにします。

 

お茶を楽しむ明智光秀

 

この結果明智家と斎藤家は婚姻関係になり、明智家と斎藤家は親族関係になります。そのため斎藤道三と明智光秀は血縁関係にはありませんが、明智家と斎藤家が婚姻関係を結んだことで親族になります。明智家と斎藤家が親族になったからといって、明智光秀にとってあまり関係がないように思われます。しかし、明智家は斎藤道三と親族関係になった事で、明智光秀の人生に大きな変化を迎えることになるのです。

 

 

光秀にとってバッド変化:明智家滅亡

嫉妬している明智光秀

 

明智家は斎藤道三と婚姻関係を結んだことで、親族となります。この結果、明智光秀にとってバッド変化を生んでしまうのでした。どうして明智光秀にとってバッド変化になるのか。それは斎藤道三が正妻の小見の方が生んだ息子を可愛がり、長男の斎藤義龍を嫌っていたからです。

 

斎藤義龍(麒麟がくる)

 

 

そのため斎藤義龍も父・道三の事が嫌いになっていきます。こうして道三と義龍の間に溝ができ、ふたりの関係性は険悪になってしまいます。そして斎藤親子は国を真っ二つに割って親子ゲンカを始めてしまうのでした。斎藤義龍(さいとう よしたつ)は斎藤道三を討伐するため出陣。親子ゲンカを初めた当時、斎藤義龍は父・道三から美濃の国主の地位を手に入れていたため、多くの豪族や国人衆が味方につきます。対する斎藤道三の方にはあまり味方がいませんでした。しかし、明智家は斎藤道三と親族になっていたこともあり、斎藤道三の味方につきます。

 

 

日本戦国時代の鎧(武士)

 

 

斎藤道三と斎藤義龍は親子ゲンカを始めますが、斎藤義龍の圧倒的兵力に斎藤道三が勝てず、討ち取られてしまいます。明智家は斎藤道三が討ち取られた後、斎藤義龍の軍勢の攻撃を受けて滅亡してしまうのでした。明智光秀は斎藤家と実家が親族になったせいで、実家が無くなってしまいbad変化になってしまうのでした。

 

 

 

光秀にとってgood変化:信長と繋がりができる

足利義昭

 

 

明智光秀は実家が斎藤義龍によって滅亡すると、美濃の国から逃亡して浪人生活を送ることになります。その後明智光秀は没落して不遇を囲っていた将軍・足利義昭(あしかが よしあき)と出会い、義昭を将軍の位にするため東奔西走することになります。

 

 

織田信長

 

 

明智光秀は足利義昭から命令を受けて、織田信長(おだのぶなが)の元へ向かい情報収集を行うことになります。明智光秀は織田信長に吸収された美濃の豪族衆とも繋がりがあったことから情報収集も捗っていきます。明智光秀はある程度情報収集を行った後、足利義昭の元に戻ります。足利義昭は光秀の報告を聞いて織田信長を頼る決意をし、細川藤孝を織田信長のもとへ派遣することにします。

 

 

斎藤道三の娘・帰蝶

 

 

この時明智光秀にとってgoodな変化がありました。それは斎藤道三の娘・帰蝶が織田信長の正室だったことです。明智光秀は織田信長の正室・帰蝶と親類関係だった為、織田信長への仲介役として活躍。そして明智光秀は織田信長とも面識を持つようになります。

 

 

明智光秀を信頼する織田信長

 

 

明智光秀は斎藤家と明智家が婚姻関係になった事で、織田信長とも繋がりを持つことができ、goodな変化をもたらしたと言えるでしょう。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

もし斎藤道三がいなければ美濃の大名は土岐家のままであり、明智光秀も歴史の表舞台に出ることなく、美濃の大名・土岐家の一家臣として終わっていたかもしれません。このことを考えれば、斎藤道三のおかげで明智光秀が歴史の表舞台へ出ることができたと考えられると思いますが、みなさまはどのように思いますか。

 

・参考 「明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く (祥伝社新書)

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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