[驚き]朱然の墓、その中にはお宝が!?真相を探る

2023年11月28日


司馬懿の墓

 

三国時代の貴族や王様、皇帝などはお墓にいろいろな装飾品(そうしょくひん)などを入れていました。

 

曹操の墓

 

例えば三国志(さんごくし)の英雄・曹操(そうそう)のお墓には、白磁(はくじ
)
と呼ばれる物が入っています。では三国時代の武将・朱然(しゅぜん
)
のお墓には一体何が入ってるのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「三国志武将紹介」朱然って一体どんな人!?

朱然

 

朱然(しゅぜん)のお墓には何が入っていたのかを紹介する前に、彼がどのような人物であったのかをここでサクッと紹介しましょう。朱然は三国時代の呉の武将です。彼は朱治(しゅち
)
の姉の子供でしたが、朱治(しゅち)に子供がいなかったため、養子として朱家へやってきます。

 

かぼちゃと孫権

 

朱然(しゅぜん)は朱家の養子になった後、孫権(そんけん)と良好な関係を築き一緒に勉強や武術を学びながら、互いを高め合っていたそうです。朱然は青年へと成長すると孫権から県長や各地の太守(たいしゅ
)
を歴任。朱然はしっかりと内政を行い、文官としての能力の高さを見せます。

 

朱然によって捕まる関羽

 

朱然は内政官としての能力だけでなく、軍事面での能力も優れており異民族討伐で功績を挙げます。また朱然は関羽(かんう)討伐戦で関羽を捕虜にしたり、夷陵の戦い(いりょうのたたかい)劉備(りゅうび)軍の先鋒を打ち破っています。

 

魏を破る朱然

 

朱然は他にも()文帝(ぶんてい)時代、曹真(そうしん)夏侯尚(かこうしょう
)
らの将軍が江陵城(こうりょうじょう)へ攻撃してきた際、少ない兵士と共に江陵城に籠城(ろうじょう)して魏軍を退ける戦功を挙げています。このように朱然は軍事・内政ともに優れた才能を見せ、孫呉の重鎮(じゅうちん
)
として活躍。

 

呉の孫権

 

孫権(そんけん)陸遜りくそん)諸葛瑾(しょかつきん)など歴戦の武将達が居なくなると、朱然に色々な心配りをするようになります。例えば孫権は朱然が病気にかかると食物や医療品などを届けたり、寝れなくなるほど心配していたそうです。

 

朱然

 

しかし朱然も病に勝つことはできず、68歳で亡くなってしまうのでした。上記で朱然の事をサクッと紹介しました。ここからは朱然が亡くなった後、彼の遺体を納めたお墓にはいったい何が入れられていたのかを紹介したいと思います。

 

 



朱然のお墓には何が入っていたの!?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

さて朱然のお墓にはいったい何が入っていたのでしょうか。朱然のお墓からはまず脇息と呼ばれるものが入っていました。脇息(きょうそく
)
とは座った時に肘をもたれさせる物です。旅館に宿泊したことがある方は一度は見たことある品物だと思います。

 

朱然が脇息を使っていた事から、彼が座って生活し脇息にもたれかかって、配下の武将達と歓談していたのかもしれません。さて次に朱然のお墓から出てきた物は王侯貴族たちが宴会をしている様子が描かれている漆器(しっき
)
が見つかったそうです。

 

孫権と三国アヒル

 

この漆器には孫権らしき人物が描かれているそうです。「はじめての三国志」の読者の皆様は、中国へ行くチャンスがあればぜひ朱然の墓でこの漆器を見て見るのもいいかもしれません。

 

 

 

朱然の墓からはなんと●●も!

 

朱然のお墓の中からは日本の伝統的な履物として有名なあれが出土したらしいのです。

それは下駄です。

 

なんと朱然の墓から下駄が出土されたそうです。

と言うことは孫呉の名将・朱然も下駄を履いて、外を出歩いたり馬に乗っていたのでしょうか。また朱然が夷陵の戦い(いりょうのたたかい)などの戦で、下駄をはいて出陣していたのかもしれません。

 

このように朱然のお墓からは色々な物が発見されているので、興味がある方はぜひ一度覗いてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

朱然の墓は安徽省(あんきしょう
)
馬鞍山市(まあんさんし)にありますが、朱然の墓がどのような経緯で見つかったのでしょうか。朱然の墓が見つかった経緯はたまたまです。

 

安徽省(あんきしょう)紡績(ぼうせき)会社が工場の拡張工事をしていたら、たまたまお墓らしきものが見つかり、研究チームに依頼した事がきっかけで朱然の墓と判明したそうです。そのためこの紡績会社が拡張工事をしようとしなければ、朱然の墓も見つかることなく、地中に埋もれている状態だったかもしれませんね。

 

■参考 正史三国志呉書など

 

▼こちらもどうぞ

朱然って夷陵の戦いでどんな活躍をしたの?

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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