人類最古の友と言われる犬、狩猟犬や牧羊犬、番犬、そして愛玩動物として人類と共にあったのが犬です。しかし人間社会の変化の中で犬の扱いも変わっていきました。今回は平安時代の貴族にとっての犬の存在について考えます。
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宮中で可愛がられた犬
平安時代の京都には野犬が沢山いたようです。枕草子には凄まじきモノの一つに昼に吠える犬が挙げられています。大和朝廷は古くから犬養部という役所を設けて、犬を飼い番犬や狩猟犬にしていましたが、全ての犬がそうではなく野良犬も大勢いました。しかし、野良犬の中には図々しく宮中に入り込んで愛嬌を振りまき、貴族や女官に可愛がられ翁丸と名前をつけられた幸運な犬もいました。
貴族には迷惑な犬
しかし、平安京に沢山いた野犬は貴族達にとっては迷惑な存在でした。当時の貴族階級には、仏教が浸透しはじめ「穢れ」思想が根付き始めていたからです。穢れの最たるものは死、そして出産でした。犬は多産ですし、力尽きて道端や人の屋敷の聖域で死んでしまう事も珍しくありませんでした。貴族たちは宮中で重要な儀式を任されても、その直前に犬の死体や出産を見てしまうと穢れとして役目を辞退しないといけなくなりました。
時々行われた犬の追放
運が悪いと貴族の出世の妨げになってしまう犬。3人の天皇の外祖父となり権力を振るった藤原道長も金峯山参詣の為に身を清めていた時、使っていた屋敷で犬が出産し、子犬が死んでしまう二重の穢れが起きてしまいました。道長は結局、金峯山参詣を諦めたそうです。時の権力者道長でさえ犬の穢れには太刀打ちできませんでした。そんなわけで犬がウロウロしていたのでは、出世に響くとして平安京では定期的に犬狩りをして、犬を追い出していました。宮中のアイドルだった翁丸も穢れとは関係ありませんが、一度、天皇の愛猫を驚かせた事で天皇を怒らせ宮中を追い出されています。いきなり追い出された翁丸はビックリしたでしょうね。
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