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平安時代の犬は貴族にとっては[迷惑]な存在だった?

2024年1月14日


 

 

人類最古の友と言われる犬、狩猟犬や牧羊犬、番犬、そして愛玩動物として人類と共にあったのが犬です。しかし人間社会の変化の中で犬の扱いも変わっていきました。今回は平安時代の貴族にとっての犬の存在について考えます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宮中で可愛がられた犬

朝廷(天皇)

 

平安時代の京都には野犬が沢山いたようです。枕草子には凄まじきモノの一つに昼に吠える犬が挙げられています。大和朝廷は古くから犬養部という役所を設けて、犬を飼い番犬や狩猟犬にしていましたが、全ての犬がそうではなく野良犬も大勢いました。しかし、野良犬の中には図々しく宮中に入り込んで愛嬌を振りまき、貴族や女官に可愛がられ翁丸と名前をつけられた幸運な犬もいました。

 

 

貴族には迷惑な犬

藤原道長 平安時代

 

しかし、平安京に沢山いた野犬は貴族達にとっては迷惑な存在でした。当時の貴族階級には、仏教が浸透しはじめ「穢れ」思想が根付き始めていたからです。穢れの最たるものは死、そして出産でした。犬は多産ですし、力尽きて道端や人の屋敷の聖域で死んでしまう事も珍しくありませんでした。貴族たちは宮中で重要な儀式を任されても、その直前に犬の死体や出産を見てしまうと穢れとして役目を辞退しないといけなくなりました。

 

 

時々行われた犬の追放

スキッパーキ

 

運が悪いと貴族の出世の妨げになってしまう犬。3人の天皇の外祖父となり権力を振るった藤原道長も金峯山参詣の為に身を清めていた時、使っていた屋敷で犬が出産し、子犬が死んでしまう二重の穢れが起きてしまいました。道長は結局、金峯山参詣を諦めたそうです。時の権力者道長でさえ犬の穢れには太刀打ちできませんでした。そんなわけで犬がウロウロしていたのでは、出世に響くとして平安京では定期的に犬狩りをして、犬を追い出していました。宮中のアイドルだった翁丸も穢れとは関係ありませんが、一度、天皇の愛猫を驚かせた事で天皇を怒らせ宮中を追い出されています。いきなり追い出された翁丸はビックリしたでしょうね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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