三国時代といえば、今から千数百年も昔。現代日本人が平安時代の日本語とは違う日本語を話しているように、現代中国人も三国時代とは似て非なる言葉を話しています。洋服も住居も習慣・習俗もその当時のものとはかけ離れています。時代が下れば何もかも変わっていってしまうのは仕方がないことですよね。
しかし、意外と変化が少ないものもあります。それは食文化。「おふくろの味」なんていう言葉があるように、おいしいと思われるものだけはなかなか変わらないのでしょう。最近ではファストフードがよく食べられるようになり、人々の健康を害しているだの食文化が崩壊するだのと専門家たちが警鐘を鳴らしていますが、実はファストフードの代表選手・ハンバーガーだって三国時代には既に中国で食べられていた伝統ある料理かもしれませんよ…?今回は、三国時代に既に食べられていたらしいハンバーガーの原型とも言える料理をご紹介したいと思います。
三国時代のハンバーガーっぽいものとは…!?
ハンバーガーらしきものはどこに載っているのかというと、『太平御覧』に引かれている『英雄記』にそれらしき記述を見ることができます。
李叔節と弟とは先に進みて乗氏の城中に在り。
呂布乗氏の城下に詣づ。
叔節城中従り出でて布に詣づるも、
先に進みて出づることを肯ぜず。
為に叔節数頭の肥牛を殺し、
数十石の酒を提げ、
万枚の胡餅を作り、
先づ持って客を労る。
李叔節とその弟の李進は先に軍を進めて乗氏(現代の山東省あたり)の城の中に入っていった。すると呂布が乗氏の城下を訪ねてきた。李叔節は城から出てきて呂布に挨拶をしたが、先に進んで出ていくことを許さなかった。呂布を引き留めるために李叔節は数頭の肥えた牛を殺し、数十石の酒を用意して1万枚の胡餅を作り、とにかく一生懸命客をねぎらった。…どこにハンバーガー?そう思う人が多くても仕方がないでしょう。
実は、このエピソードに出てくる「胡餅」こそがハンバーガーのあの部分だと思われるのです…!
霊帝が流行らせた胡餅
「胡餅」とは何ぞや?そう思った人は少なくないでしょう。この「胡餅」というのは、所謂パンです。パンと言えば私たちはふわふわのものを思い浮かべがちですが、「胡餅」はパリパリとした食感の薄いパンです。ゴマがたくさん振られた丸い形のナンのようなものを想像すればわかりやすいのではないでしょうか。
「胡餅」といえば一般的に唐代に西域からもたらされたというイメージが強いようですが、実は霊帝が好んで食べていたということで後漢末期には胡餅ブームが巻き起こっていたのだそう。当時の胡餅ブームについては『太平御覧』に引かれている『続漢書』に見られるのですが、「胡餅」なんて食べていたから董卓が引き連れてきた胡兵によって不幸が起こったなんて調子で書かれちゃってます。
当時の人は胡餅に牛肉を挟んで食べていた?
平らで丸いパンなんてハンバーガーのバンズにピッタリですよね。しかも、ゴマが振られていたわけですから、イメージにピッタリ。しかし、『太平御覧』の記述を見ても、胡餅に牛肉を挟んで食べていたかどうかは書かれていませんから、呂布がハンバーガーのように胡餅と牛肉を食べていたかどうかははっきりとはわかりません。
それでも、胡餅はもちろんあらゆるものに肉を挟んでハンバーガーのようにして食べるということは現代中国でもよく見られる風景ですし、中国にとって西域であるトルコにはハンバーガーに似ているドネルケバブなんてものがありますから、やっぱり呂布たちも胡餅に牛を挟んでハンバーガーのようにして食べていたと考えることができるのではないでしょうか?
三国志ライターchopsticksの独り言
ハンバーガーといえばアメリカのイメージが強いですが、欧米人がそのおいしさに気づく遥か昔から、アジアの人たちはハンバーガーのおいしさを知っていたのかもしれません。ただ、それをハンバーガーと認識して食べていたかといえば決してそうでは無かったでしょう。それでも、時代に先駆けてハンバーガーを食べていたと考えられる三国時代の人々はまさに時代の最先端を行く存在だったのかもしれませんね。
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