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[孫皓の背後]呉のA級戦犯?万彧・濮陽興・張布の謎

2024年3月17日


孫皓と張俊

 

孫呉の滅亡を引き起こした孫晧(そんこう)ですが、皇帝になるような地位にある人でありませんでした。では誰が孫晧を皇帝に押し上げたのでしょうか。

 

それは当時、呉の重臣であった万彧(ばんいく)濮陽興(ぼくよう こう
)
張布(ちょう ふ
)
の三人が結託して孫晧を皇帝に押し上げたせいで、孫呉は滅亡へと突き進んでいくことになるのです。今回はこの孫呉滅亡へといざなった三人の重臣たちがどうして孫晧を皇帝にしたのか紹介したいともいます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫休の息子は皇帝になれない

孫休

 

呉の第三代皇帝孫休(そん きゅう
)
は病にかかり亡くなってしまいます。彼は亡くなる前に皇太子であった自分の息子・孫わんを皇帝にするように遺言を残します。しかし孫わんが皇帝になる事はなく、孫晧が呉の皇帝に君臨することに。どうして孫休の息子は孫休の遺言があったにも関わらず、皇帝になれなかったのでしょうか。

 

 

 

孫休の息子が皇帝になれなかった理由

 

孫休の息子が皇帝にどうしてなれなかったのでしょうか。それは孫休時代の重臣であった万彧・濮陽興・張布が孫晧を皇帝に押し上げた事が原因でした。彼らはどうして孫晧を皇帝へ押し上げたのでしょうか。

 

 

万彧が一番の戦犯!?

 

濮陽興・張布はそれぞれ孫休時代に孫呉の政治と軍事を孫休から任されていました。そのため彼らは自分の好きなように孫呉の政治を動かすことができ、軍事の面でも自分の都合のいいようにできました。彼ら二人は孫休からの信頼も厚い人物でした。

 

万彧は濮陽興・張布の二人に比べると少し地位の低い官職にありましたが、彼もまた孫呉の重臣でした。彼には皇族の中で親しい人物がいて、その人物こそ孫呉のラストエンペラーとして歴史に名を刻んだ孫皓です。万彧はどうして孫皓を皇帝に押し上げ用と考えたのでしょうか。

 

正史三国志には彼の心情が描かれていないため、断定的なことは言えませんが、推測することはできるでしょう。万彧は孫休を助けて皇帝から信頼を得た濮陽興・張布が、孫呉の政治をおもうように動かすことができている現状を見て、孫皓を皇帝へ推挙すれば、自分も彼らのように権力を握ることができ、孫呉の政治を思い通りに動かすことができるだろうと考えていたから、孫皓を皇帝にしようと考えたのではないのでしょうか。

 

万彧がこのように思っていたのであれば、孫皓を皇帝にした理由がしっくりくるのですが、皆さんはどのように思いますか。

 

万彧の作戦とは?

 

万彧の作戦とはいったい何なのでしょうか。それは濮陽興・張布に孫皓がすばらしい人物で皇帝にふさわしい人物であると説得することでした。こうして万彧は自らの作戦通りにことを進めていきます。

 

 

A級戦犯の三人組

 

万彧は孫休が病にかかって亡くなってしまうと濮陽興・張布に早速「孫皓様は孫権様の兄・孫策様に似ており、すばらしい人物ですぞ。魏に対抗するためには孫皓様を皇帝に立てるしかないでしょう。」と述べます。濮陽興・張布は孫休の息子を皇帝にしようと考えていましたが、万彧のいうことにも一理ありましたが、決断をしませんでした。

 

しかし万彧は孫休の息子を皇帝にするべきではないと強く反対したため、二人も彼の意見に賛同して孫皓を皇帝にする決断を下します。濮陽興・張布は早速孫休の奥さんに「孫皓様を皇帝として立てないのですが、よろしいでしょうか」と説得。孫休の奥さんは二人の説得に反対意見を言わず、素直に納得します。

 

こうして孫休の遺言は守られることなく、孫皓が皇帝として君臨することになるのです。こうして万彧の作戦はうまくいくことになり、濮陽興・張布も万彧の作戦に乗っかり、孫皓を皇帝に立ててしまうのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

万彧・濮陽興・張布の三人が結託して孫皓を立てたせいで、孫呉の国は滅亡へと向かって進んでいくことになり、孫呉滅亡のA級戦犯三人組と言えるでしょう。

 

しかしもしこのA級戦犯三人組の中で重罪ランクをつけるとすれば、一番の重罪は万彧でしょう。彼が孫皓を皇帝にするよう濮陽興・張布の二人を説得しなければ、孫休の息子が皇帝になっていたはずです。孫休の遺言を捻じ曲げ、孫皓を皇帝に推戴するよう計画し、実行した万彧こそ、孫呉を滅亡へと誘ったA級戦犯であり、濮陽興・張布の二人には情状酌量の余地があると思うのはレンだけでしょうか。

 

■参考 正史三国志呉書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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