蜀の丞相として国を支え続けてきた諸葛孔明。そして諸葛孔明が亡くなると諸葛孔明の部下として長年働いてきた蒋琬が彼の跡を継いで蜀の国を支えることになります。
蒋琬は前任者である諸葛孔明が魏を討伐するため北伐を行ってきましたが、蒋琬は諸葛孔明とは違う政策を行います。では蒋琬が諸葛孔明とは違う政策とはいったいどのような政策なのでしょうか。
諸葛孔明の北伐のために考え出した政策とは?
諸葛孔明は蜀が魏を討伐するためにはまず蜀の国力を増加することが必要であると考え実行に移します。諸葛孔明はこうして経済の活性化のために南蛮征伐を行いこの地を占領することに成功。
諸葛孔明は南蛮の地から、いろいろな特産品を回収しこれを他国へ売ることで国力増加に勤めます。ほかにも蜀の国の農業生産力の増強、兵士一人ひとりの力を挙げるための訓練、武器の改良など、いろいろな政策を行い蜀は大きな力を手に入れることに成功します。
こうして諸葛孔明は蜀の国の力が増加すると魏を討伐するため、何度も大軍を率いて北伐を敢行しますが、ことごとく失敗に終わってしまいます。なぜ諸葛孔明の北伐は失敗に終わったのか。
この原因を孔明の跡継ぎとなった蒋琬は考えました。その結果諸葛孔明の北伐が失敗した原因は北伐を行う際、魏へ侵攻する際の道路が悪路で行軍に不向きであったこと。
また悪路であるため食料を輸送することが困難であったことが考えられます。蒋琬は上記のことが原因で北伐が失敗したであろうことを考え付き、諸葛孔明と同じような政策を取ることをしないで別の政策を実行に移すことにします。
蒋琬が考えた政策とは
では諸葛孔明の後継者として蜀の国のトップに君臨した蒋琬はどのような政策を実行に移したのでしょうか。蒋琬は諸葛孔明のように魏を討伐するための北伐を行うことをやめます。
なぜ蒋琬は魏の討伐を中止したのか。
それは二つの理由があります。
ひとつは蜀の国力が北伐のせいで低下していたこと。次に度重なる北伐が行われたことで民衆たちへ重い税がかかっていました。そのため民衆たちは重い税を支払い続けることに不満を持っており、このまま魏に勝てるかどうかわからない北伐を続けていけば、民衆たちが反乱を起こす可能性がありました。国力低下によって蜀の民衆たちの不満が爆発する寸前だったことが原因です。
そのため蒋琬は北伐を行うことを中止し、蜀の国力増加のために内政に力を注いでいくことします。しかし魏に対しての防備はしっかりと行わないといけないため、漢中近辺に大軍を駐屯させ、魏の軍勢が蜀へ侵攻してきても対応できるようにしていました。このように蒋琬は諸葛孔明とは違う政策を持って蜀の国を支えていくことになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
蒋琬は北伐を中止したことで国力の消費を抑えることに成功します。しかし蒋琬もこれらの政策を長く続けることができませんでした。その理由は蒋琬も諸葛孔明と同じように病にかかってしまい、命を落とすことになってしまうからです。
蒋琬は諸葛孔明が亡くなって彼の跡を継いでから8年ほどしか己の政策を実行し続けることができませんでした。蜀の国にとってはこれからが安定期へ向けて突入するところであったにもかかわらず大切な人材を失ったのはかなり大きなことだったと思います。
もし蒋琬が諸葛孔明死後、10年ほど蜀の国の国力を増やすことに注力していれば、三国志の歴史はまた違ったものになっていたかもしれません。このように考える蒋琬が亡くなったことは運命が蜀を生き残らせることを嫌っていたからかもしれませんね。
参考 正史三国志蜀書など
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