紛失した西郷隆盛の手紙[百年ぶりに再発見]

2024年3月27日


今週もお疲れ様でした(西郷隆盛)

 

維新の三傑として、また、上野の銅像「西郷どん」として日本人に愛されている西郷隆盛。そんな西郷は、膨大な量の手紙を残し、多くは保管されていましたが、中には行方不明になった書簡も存在するそうです。そんな中、昭和初期に紛失して以来、所在が不明だった西郷の書簡が100年近くぶりに再発見されました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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昭和2年の「大西郷全集」に記されて後、紛失

水滸伝って何? 書類や本

 

今回、再発見された西郷さんの書簡は、昭和2年に刊行された「大西郷全集」第2巻に写真図版付きで最初に紹介され一級史料として広く知られていました。しかし、その後、原本の所在が不明になり、百年が経過しようとしていた2023年9月、滋賀県大津市の男性が県に寄託した文化財5件の中に西郷の手紙が含まれていた事が判明。鑑定の結果、原本だと特定しました。滋賀県によりますと、見つかった「西郷隆盛自筆書簡」は、長さ4メートル75センチという西郷さんの書簡の中では最長級だそうです。

 

 

遣米使節の大久保に送られた手紙

西郷隆盛、大久保利通

 

今回の西郷隆盛自筆書簡は、明治5年、アメリカやヨーロッパ視察旅行に出ていた大久保利通に向けて出されたものです。書簡には日本国内の状況や島津家の内情などを詳しく書いていて、留守政府の首班であった西郷が、大久保に国内情勢を細かくに知らせようとしていた様子が見て取れます。

 

 

写真嫌いの一文も

西郷糸子と西郷隆盛

 

また、追伸にあたる部分では、以前に大久保から受け取ったポートレートを醜体(みっともない)と揶揄うなど「写真嫌い」で有名な西郷を象徴する一文もあります。そして、この書簡が、確かに西郷隆盛のものである事を示す弟、西郷従道の鑑定書も発見されました。この書簡には、オフィシャルで生真面目な西郷と、親しい大久保に向けて冗談半分の砕けた内容の書簡を出すプライベートな西郷の二つの側面が窺えます。今回再発見された西郷隆盛自筆書簡は、今年5月に滋賀県公文書館等で展示される予定だそうです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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