現代の日本では観光に来る外国人が多くなり、様々な言語を耳にする機会が多くなりました。多くの外国人が観光やビジネスで来日するのが当たり前になっていますが、開国で揺れていた幕末の人々は外国人をどのように思っていたのか気になると思います。攘夷派は外国人嫌い、開国派は外国人嫌いではないと考えられがちです。
また、日米修好通商条約で開港した神奈川について、本当は横浜であるにもかかわらず、神奈川を開港すると外国人を見たことがない庶民が混乱するからという理由で、横浜を神奈川とだまして開港したと言われています。この記事では、実際に幕末の偉人は外国人をどう思っていたのか。当時の日本人は外国人嫌いをどのようにして直したのか。この2点について取り上げます。
井伊直弼は開国派だったが外国人は嫌いだった
井伊直弼と言えば、勅許なしで強引に日米修好通商条約に調印したことで有名です。なぜ勅許なしで強引に条約に調印したのか。背景として、アメリカの総領事ハリスから中国の清のようにイギリスやフランスに侵略される前に条約を調印したほうがよいと説得されたと言われています。
日米修好通商条約の内容と言えば、関税自主権がないことや治外法権(領事裁判権)を認めていることなど日本にとって不平等な内容でした。アメリカだけでなく、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同じような不平等条約を結びました。
直弼が責任を負うと言って老中らを説得したことで条約の調印に成功しました。条約は調印されましたが、水戸藩と薩摩藩の浪士が1860年の桜田門外の変で直弼を殺害しました。開国に踏み切った井伊直弼は外国人が好きなのか嫌いなのか。『井伊直弼とは何者?英雄・冷酷な独裁者?』によれば、アメリカと実力差があるため戦っても勝てないと考えました。いったん開国して貿易で富を蓄えてから外国と対等に交渉することを考えていました。
とにかく外国人が嫌いだった孝明天皇
これまでの幕末の大河ドラマを見ている人にとって、孝明天皇と言えば、外国人嫌いという印象が強く残っていると思います。孝明天皇は外国人嫌いであることから幕府の開国に対して発言力を高めました。孝明天皇の外国人嫌いは何故か。外国人を実際に見たことがない人が得体の知れないものとして天皇や朝廷に広まったことが考えられます。具体的には、動物の生き血を飲み、肉を食べると広めたそうです。幕末の人々にとって外国人が恐ろしいものを食べていると感じたかもしれませんが、現代ではワインや牛肉・豚肉など当たり前に食べているものです。
岩倉具視は最後まで外国人を嫌っていた
岩倉使節団の集合写真において、団長の岩倉具視だけがちょんまげで着物姿です。外国に行く前、岩倉は西洋化に賛成でも髷を落とすことに反対して、日本の伝統文化を重んじていました。まげを落とすなど日本古来の伝統を変えることに抵抗があったと考えられます。岩倉は下級の公家であったことから外国人に対していい印象を持っていなかったことが考えられます。
着物という日本古来の服装という出で立ちでアメリカに渡りました。アメリカ人は歓迎したと思われていましたが、岩倉はちょんまげと着物という物珍しさに集まっていたことを知り、まげを落とすことを決意しました。アメリカの首脳と会談したとき、まげを落として洋装だったと言われています
はじめて外国人公使と面会を望んだ明治天皇
現代では天皇陛下が公務の一環として外国の大使や総領事に面会されるシーンをよく目にすると思います。開国後、外国人公使と面会したのは明治天皇でした。明治天皇は15歳の時に即位しましたが、当時の日本人は外国人嫌いで外国人に対する事件が起こっていました。1868年、イギリスの公使パークスが京都に入ったとき、暴漢に襲われますが、パークス自身には怪我はありませんでした。
明治天皇はこの事件に関して悔恨の辞を述べ、今後暴行することを許さないことを国民に宣言しました。この宣言を機に外国人に対する事件はほとんどなくなりました。日本では明治天皇が外国人に対する堂々とした態度を示したことに対して評価されました。一方で、イギリスでは明治天皇をどのように評価したのか。10代後半の明治天皇がイギリスの皇族や公使など要人を堂々と迎えしたことに対して、イギリスでは対等の独立国家として交際するべきであるということが示されたと評価しています。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
この記事では幕末の日本人の外国人嫌いから明治天皇の行動で日本人の外国人に対する意識が変化する過程を取り上げました。終わりに、外国人から見た日本人はどのような印象だったのか。イギリスの公使オールコックは日本人ほど封建主義的政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろうと評価しています。他の外国人の日本に対する評価を取り上げることで、幕末の日本の評価について考え直したいと思います。
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