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信長をどうぞ宜しく…斎藤道三が信長を気に掛けていた[書状]を発見

2024年4月27日


悪い顔をする斎藤道三

 

戦国時代を代表する梟雄、斎藤道三、下克上の為に手段を択ばなかった冷酷さからマムシの道三として知られる彼ですが、一方で婿である信長の才能を見抜いて娘の帰蝶を嫁に出したとも言われています。その婿信長を気にする道三の書状が今回、発見されました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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道三の書状は水戸私立博物館に個人から寄託されたもの

ドケチな斎藤道三

 

今回、発見された書状は、水戸市立博物館に個人が寄託したもので、東京大学史料編纂所の村井准教授が調査したところ、書状は現在の岐阜県美濃地方を治めていた戦国大名、斎藤道三が近隣地域の領主に宛てたもので内容や書名から1552年頃に書かれたと見られるそうです。

 

 

婿の信長の事を気に掛ける道三

狂ったようなうつけ者だった若き頃の織田信長

 

書状の中で道三は信長について「信長はあなたと親しいという話で大変嬉しく思う。若造で至らない点もあるが末永くつきあって欲しい」と書かれていて、その頃、自身の婿になった信長を紹介し、仲良くして欲しいと信長の評判を気に掛けた内容でした。信長公記によると、道三は、うつけと悪評があった信長と会見して、その非凡さを見抜き、愛娘の帰蝶を与えて厚遇した事は知られていますが、今回の史料はそれを裏付けた形です。村井准教授によると、道三の書状はあまり残っていない上に信長に言及している事も珍しく、貴重な資料だと述べています。

 

 

信長も道三を強く信じた

鎧兜姿の斎藤道三

 

道三が惚れ込んだ信長ですが、そんな信長も舅である道三を信じました。1554年の村木砦の戦いで、信長は味方の水野金吾が立てこもる緒川城を救うために本拠地である那古野城を出陣しますが、城を空にすると清須城の織田信友が攻撃を仕掛けてくる恐れがあったので、道三に手紙を送って那古野城を守るための援軍を要請します。道三は、信長の要請に応えて安藤守就を大将とする1000人の兵力を派遣しますが、信長は道三の援軍を少しも疑わずに礼を述べ、堂々と道三の援軍に背中を向けて出陣。今川方の村木砦を攻略して緒川城を解放したのです。裏切りが当たり前の戦国時代、信長がいかに舅である道三を信じたかが、ここからも窺えます。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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