三国志演義の曹操って、とても魅力的だと思うんですよ。平気で嘘をつくところ。ぼろ負けしてもゲラゲラ笑うところ。見ていて飽きません。
持てる限りの知恵と力を総動員して次から次へとアクションを起こし、若年から臨終に至るまで得意の絶頂と失意のどん底を幾度となくくりかえすジェットコースター人生は物語の中で際立った輝きを放っています。しかし、中国では清(西暦1616年~1912年)の末期まで曹操はすこぶる人気がなかったというから驚きです。昔の中国のみなさんは、どうして曹操の魅力に気付かずにいられたのでしょうか。
初登場シーンでさっそく魅力的
三国志演義の曹操は悪玉として描かれているものの、ふつうに読んで充分かっこいいです。最初の登場シーンからして鮮烈です。
黄巾討伐戦で黄巾の残兵の前にさっと立ちふさがったと思ったら、狩りや歌や踊りが好きだの謀略にたけ機知に富んでいるだのといった人間的に面白そうなことが文中で紹介され、続いて、いつも曹操に厳しい叔父さんを曹操が頓智を利かせて騙したという胸のすくような逸話が紹介されます。口うるさい叔父さんを出し抜くなんて、素敵じゃないですか。じつに自由で溌溂としています。権威に大人しく頭を垂れないで、自分で自分の運命を切り開ける人です。
逃げも隠れもせず悪名を被りながら運命を切り開く
三国志演義の曹操はいつでも自分の言動に対する責任を負っています。ひどいことをすれば悪名を被り、それを逃げも隠れもせずに受け止めています。
例えば、曹操が董卓暗殺に失敗して逃亡中に、宿を求めた呂伯奢の家で家の人たちが料理に使うために豚を殺そうとしていたのを曹操は自分を殺そうとしているのだと勘違いして、家にいた人たちを皆殺しにした時のこと。やってしまってから豚を発見して、誤解だったと気付きます。
その後、現場から逃走する途中、おもてなし用の酒を買いに出かけていた呂伯奢とばったり遭遇しました。呂伯奢が家に帰れば自分の凶行が露見すると考え、曹操は呂伯奢も殺し、一緒に逃走していた陳宮から「さっきのは誤解だったが、誤解が解けたのにまた殺すとはひどい」となじられました。その時、曹操はこう答えています。
「俺は天下の人にそむいても、天下の人が俺にそむくことは許さないのだ」
乱れた世の中を正したいという理想を持っていれば簡単に死ぬわけにはいかないし、そのためには時に他人を踏みにじらなければならないこともあります。そんな修羅の道を歩む決意と覚悟が呂伯奢殺害後の言葉には表れています。このように自分の言動に責任を負い、悪名を被りながらでも運命を切り開いていこうとする姿は人の心を打つと思うのですが、これがなぜ清の末期まで人気がなかったのか……
清の末頃までの中国の人たちの世界観
中国では神話の時代から清の末期に至るまで、帝王を頂点とした国家体制が連綿と続いていました。また、民間レベルで深~く深く根付いていた儒教には「尚古主義」と呼ばれる考え方があり、昔はよかった、先人のやり方をきちんと習っていれば世の中うまくいくはずだ、という考え方が常識でした。
大昔からあまり変わらないような国家体制の中で、先人のやり方をきちんと習いながら生きていると、世の中なんて変わらないのが当たり前だと思いますよね。そして、「尚古主義」の発想では、変わらないことがいいことなのです。三国志演義の曹操像の魅力に気付かなかった人たちは、そういう世界観で生きていた人たちでした。
「尚古主義」の視点から見た曹操
変わらないことがいいことだ、という発想で生きている人たちから見ると、曹操の「運命を切り開く」という生き方はチンプンカンプンだったのではないでしょうか。何も切り開かずに既存の秩序にのっとって生きているのが素晴らしいことなのであって、曹操のいつもジタバタと新しいことをやっていく態度はならず者の振る舞いに見えたことでしょう。
曹操は合理主義にのっとって次々と新しい施策を打ち出し魏のいしずえを築いた偉人ですが、尚古主義の視点から見れば、「昔からの麗しいやり方を変えてしまったら世の中は悪くなる一方だよ。あんなやくざな人が幅を利かせるなんて世も末だね」という感想になるのではないでしょうか。
三国志ライター よかミカンの独り言
変わるのはいいことだ、という風潮のある現代の感覚からすると、曹操にはほとんど魅力しかないように感じられます。変化を肯定的にとらえるか否定的にとらえるかで、曹操の評価は全く反対のものになるのではないでしょうか。持てる限りの知恵と力を総動員して次から次へとアクションを起こした曹操は、世の中をひっかきまわして悪くしてしまう悪者だと思われていたのです。
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