世説新語は、昔の偉人達の奇抜な行いの記録が記されています。そうしたものの中には、笑いや感心、妙な納得感を誘うような機智に富んだ逸話も記されています。今回は、世説新語文学篇より、経学者の鄭玄(じょうげん)とその師、馬融(ばゆう)のエピソードをご紹介します。
馬融と鄭玄
馬融(ばゆう)という学者がおりました。彼は経学者の中でも卓越した部類に属しており、彼の養成した弟子は後に千人にも及ぶと言われています。ちなみにここでいうところの学問とは、天文・占い・予言・算術等のことを指します。鄭玄(じょうげん)、あざなは康成(こうせい)は、馬融(ばゆう)の門下生の一人で、彼の元で経学の研究に励んでいました。しかし、三年間馬融(ばゆう)と対面することもなく、講義はもっぱら兄弟子達から伝授されるもののみでした。
天球儀の計算問題
ある時、天球儀の計算が合わなくなったことがありました。馬融(ばゆう)とその弟子の中では分かる者は誰もおりませんでした。その時にある者がこう言いました。「鄭玄(じょうげん)ならばこの問題を解くことができるでしょう。」
それを聞いた馬融(ばゆう)は、彼を召し出し計算させました。すると鄭玄(じょうげん)は一回転させただけですぐに問題を解決してしまいました。これには一同驚くとともに、彼に敬意を払いました。
鄭玄の卒業
その後、鄭玄(じょうげん)は学業を完成し、別れを告げて帰郷しました。馬融(ばゆう)は、学問が鄭玄(じょうげん)とともに自身の元を去るように感じました。そして、彼がその学問で名声を独占し、大成することが妬ましく感じられました。遂には、馬融(ばゆう)は刺客を引き連れ、彼を追いかけて抹殺しようと企みます。馬融(ばゆう)は占術に通じていたため、彼の居所を占い刺客とともに向かいました。いかなる場所に逃げようと、馬融(ばゆう)は占術で察知し追いかけることができます。
鄭玄の機智
鄭玄(じょうげん)もそのことを察知して、逃れる術を考えていました。相手は自身の師、馬融(ばゆう)、あらゆる学問に通じている彼ならば、自身の居場所などたちまち占ってしまうでしょう。どこに逃げても追いかけられてしまいます。鄭玄(じょうげん)は、流れる川に架けられた橋に辿り着きました。彼は、橋の下に降りると橋ゲタに腰をかけ川に浸かりました。
果たして、彼の運命は・・・
一方で、馬融(ばゆう)はまた鄭玄(じょうげん)の行方を占っていました。馬融(ばゆう)は式(占い用の道具、ルーレットのようなモノ)を回転させ鄭玄(じょうげん)の行方を占いました。そしてその結果を見て、刺客達に伝えました。
馬融(ばゆう)「鄭玄(じょうげん)は土の下、水の上にいて、木に拠っている。彼はすでに死んでいるのではないか。」なるほど、確かに橋の下で川に浸かっている鄭玄(じょうげん)は、大地よりも下、水よりも上にいて、木(橋)に囲われています。占いで見通しただけの馬融(ばゆう)には、地中の中で地下水脈よりも上の位置にある木製の棺の中で鄭玄(じょうげん)が亡くなっている姿が見えたことでしょう。こうして馬融(ばゆう)は追跡を止め、鄭玄(じょうげん)は命拾いしました。
三国志ライターFMの独り言
少し馬融(ばゆう)のフォローをさせて頂きます。このエピソードでは、馬融(ばゆう)は嫉妬深い、執念深い悪漢の様に描かれています。自身はろくに弟子の面倒を見ずに、いざ自信が困ると弟子に頼って解決してもらう、そしてその弟子が自身の手を去ろうものならば殺してしまう、という中々の悪役です。実際には、馬融(ばゆう)は仁徳を重んじるような人物であり、前述したように多くの弟子を抱えている人望を集めることのできる人物でした。
そのような人物が嫉妬するようなことはなく、まして追っ手を仕掛けてまで害しようと等はしないでしょう。そのため、この話は作り話ではないかとされています。とはいえ、中々面白いお話ですね。
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