三国志の時代では、まだまだ女性の地位は低いものでした。ですから皇帝の皇后・夫人以外で記載されている女性の名前はごくわずかです。一家臣の妻についてなどほとんど記録が残っていません。しかし、三国志の英雄たちがどんな女性を愛したのか、興味はありますよね。今回は三国志の人気武将、趙雲(ちょううん)の妻たちについてお伝えしていきます。
孫軟児とはどんな人
なにせ趙雲の活躍自体が「趙雲別伝」に依るところが大きいですから、「三国志正史」には趙雲の奥さんについての記載など当然のようにありません。趙雲ビイキの「三国志演義」でも同じように描かれています。漢の中の漢である趙雲が女性と仲良くしている姿はなかなかイメージしにくいです。
民間伝承には趙雲の奥さんに「孫軟児(そんなんじ)」という女性がいたとあります。趙雲のプライベートが完全に謎のため、いろいろ想像され、脚色されたのでしょう。新紀元社から出版された「三国志武将辞典」には三国志の登場キャラが1085人ほど紹介されていますが、こちらにもその名前はありません。
伝わっている話によると、孫軟児という女性はよくできた奥さんだったようです。ただし、趙雲の死の原因とされています。趙雲の怪我一つしていない綺麗な肌を見ているうちにイタズラ心が芽生えた奥さんは、刺繍針で趙雲の体を少し突っついてみたのです。
するととめどなく血が流れ、そのまま趙雲は息絶えました。ショックを受けた奥さんはそのまま自害して果てたそうです。話がそれるので割愛しますが、本多忠勝の逸話にも似たようなものがありますね。中国・韓国合作映画「三国志」でも軟児という名前で趙雲の奥さんとして登場していました。
趙雲の妻たち
中国ドラマの「趙雲伝」では夏侯傑の娘・夏侯軽衣がヒロインとなっています。公孫瓚の娘・公孫宝月と趙雲を巡って恋愛バトルを繰り広げていますが、ここまでくると完全にフィクションですね。
蜀が三国を統一するという驚愕のストーリーが展開される「反三国志演義」では、趙雲は馬超の妹と結ばれています。武勇にも優れた「馬雲騄」です。三国志のゲームにも登場したりしますので、こちらの方が馴染みはあるかもしれません。ちなみに趙雲と共に戦い抜き、見事に天下を統一、将軍となってハッピーエンドを迎えています。趙雲が馬超の義理の弟だったという設定は面白いですね。
趙雲の妻子たち
趙雲の息子たちはほとんど表舞台で活躍していません。長子の趙統は戦場での活躍はまったくなくフェードアウト状態。次子の趙広は姜維に従い侵攻してくる魏軍と戦い戦死しています。そもそも登場してくるのが趙雲の亡くなる229年ですからかなり遅いですね。
母親は不明です。民間伝承では趙統と趙広が、母親の孫軟児が刺繍針で趙雲を殺してしまった事件を諸葛亮や劉禅に報告したとされています。はたして本当に趙雲は孫軟児という女性と結婚していたのでしょうか。気になりますね。趙雲の子孫がどうなったのかは不明ですが、趙雲別伝が趙家の家伝であったと仮定すると絶えることなく続いたと考えられるのではないでしょうか。
三国志ライターろひもと理穂の独り言
ということで趙雲の妻子についてお伝えしてきました。趙雲の戦場での活躍ぶりからするに、事実は不明ですが、きっと奥さんも立派な女性だったのではないかと推測できます。詳細がぼやけているからこそ、空想の入り込む余地があり、さらに趙雲を引き立てているのかもしれません。
日本の戦国武将・上杉謙信は妻帯しなかったといわれていますが、もしかすると趙雲もそうだったかもしれませんね。趙統や趙広は養子だったのでは・・・なんていう説もあります。三国志に登場する他の英雄の奥さんたちはどうだったのでしょうか?気になる方はぜひ「はじめての三国志」で検索してみてください。いろいろな英雄の奥さん関連の記事がたくさんありますよ。
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