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黄老思想って何?アベノミクスの原点は[前漢]にあった!?

2024年12月17日


 

 

新聞の経済面などを読んでいるとしばしば、「大きな政府」「小さな政府」という言葉に出会います。

 

現在の日本における政権(自民党・安倍政権)は「小さな政府」寄りのスタンスを取っていますが、実はこの「小さな政府」という考え方は中国の春秋戦国時代からあったって、ご存知ですか?現代の「小さな政府」の思想とも通ずる古代中国の思想「黄老思想」とは、一体どのような思想だったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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その前に、「大きな政府」「小さな政府」って、なに?

 

そもそも「大きな政府」「小さな政府」ってなに?と思っている方もいらっしゃるでしょう。

 

「大きい」「小さい」とは人口規模のことではありません。「大きな政府」「小さな政府」とは、政府が、その国の経済に対し、どのような姿勢を取るか、その違いを2つにわけて説明する経済用語の一種です。「大きな政府」と「小さな政府」、それぞれの考え方には明確な違いがあり、当然、それぞれのメリットとデメリットが存在しています。まずは「大きな政府」と「小さな政府」、それぞれの概要を説明しましょう。

 

 

 

「大きな政府」の特徴とそのメリット・デメリットは?

 

「大きな政府」とは、政府が全面的に経済に介入し、社会経済の政策を強く推進しようという思想です。社会経済への介入のため、財政規模が巨大化することから

 

「大きな政府」と呼ばれるわけですね。

 

「大きな政府」の基本政策は

 

・福祉の強化

・富の分配

・国によって市場を管理する計画経済

・完全雇用

 

などであり、これらの実現のために税金が高くなるのが特徴です。現代では、主にデンマークやノルウェーといった北欧諸国が「大きな政府」を採用していることで知られています。

 

「大きな政府」のメリットは社会の高福祉化です。生活保護の他、さまざまな給付・手当金の受給が容易になります。国民すべてに最低限度の生活資金を給付する「ベーシックインカム」も、「大きな政府」であるほうが実現が容易になります。

 

一方、「大きな政府」のデメリットは税金が高くなること国の財政支出が大きくなるため、財政赤字になりやすいことが上げられます。基本的に計画経済のため、経済的な柔軟性に欠け経済が非効率化することもネックとなります。国民に格差が生じにくく、さまざまな福祉が保証されるけど平均所得が下がり、社会の活力が下がってしまうのが「大きな政府」の特徴です。

 

 

「小さな政府」の特徴とそのメリット・デメリットは?

 

「大きな政府」とは正反対の姿勢を志向するのが「小さな政府」です。政府が社会経済に直接関与することを可能な限り減らして、自由主義経済のもと、民間による自由競争によって経済を発展させようというのが「小さな政府」です。従って、政府の基本姿勢も「大きな政府」とは対極的なものになります。

 

・低福祉化による低税金化

・市場管理を行わない(自由経済)

・関税を設けない(自由貿易)

・国営企業の民営化

 

「小さな政府」実現によって得られるメリットは税金や社会保障費が安く抑えられるというものです。高所得者の税金負担が減り、経済の活性化に繋げられます。また、意欲のある人にとっては労働欲が高まり、社会的成功のチャンスが増える社会とも言えるでしょう。しかし一方で、福祉の切り捨てや格差社会化が起こり、犯罪の増加や治安悪化を招くとするデメリットもあります。「小さな政府」の代表例はアメリカやイギリスなど、2017年現在の日本政府も「小さな政府」寄りの姿勢を取っています。

 

 

「小さな政府」という考え方の原点は、戦国時代の中国にもあった?

 

「大きな政府」と「小さな政府」、国家財政のあり方についてのこの2つの考え方には、それぞれメリット・デメリットがあって、その優劣を一概に論じることはできません。ひとつ言えることは、国家財政の問題は、「国」という共同体が歴史上成立してから以降、決して無くなることのない大きな問題として常に、政(まつりごと)を司る者にのしかかる普遍的な命題である、ということでしょう。現代の「小さな政府」の考え方に類似する思想を、古代中国の戦国時代に見出すことができます。古代中国版「小さな政府」の思想とも言える、黄老思想(こうろうしそう)とは、どのような思想だったのでしょうか?

 

 

時代背景が必要とした思想?

 

春秋戦国時代の戦乱を制して中国の全土統一を成し遂げた秦は、国家基盤を支える基本思想として「法家」を取り入れ、それまで中心であった儒教を弾圧しました。「法家」の代表的な存在として、儒学批判を行った韓非子がいます。

 

韓非

 

しかし、「法家」思想を積極的に導入した秦王朝が短命に終わると、その後を継いだ前漢で、衰退していた。長き戦乱の時代であった春秋戦国時代の後、全土統一を果たした秦も短命に終わり、前漢が成立した時代には、中国全土で人民は疲弊し、国の活力は失われていました。

 

このような時代背景を受けて大きく発展したのが「黄老思想」です。それは、「黄老思想」の最も基本的な「無為自然」という考え方がそうした時代背景にマッチしていたことが大きな要因であったのです。

 

 

「無為自然」、現代風に言えば「あるがまま」?

 

「黄老思想」の源流は「老子」と「莊子」を代表とする諸子百家のひとつ、「道家」にあります。春秋時代以降広く信奉されていた「儒家儒教)」の思想は“礼節”を重んじ様式を良しとする思想でした。それは見方を変えれば非常に人為的・作為的な思想でもあります。こうした「人間の思想」である儒教を批判し、「天命」を受け入れ、あるがままに生きようと唱えたのが、「道家」の中心思想である「無為自然」という教えです。

 

「黄老思想」はこの道家の一学派です。「黄老」という名前は、この学派の思想の始祖を伝説上の皇帝である「黄帝」とし、老子が完成させたとされることから、それぞれの名前を取って命名されています。「黄老思想」は君主の有り様について、天命に背いて勝手に行動してはならないと戒め、また、君主が過剰に天下に干渉することを避けるべきとし、過大なコストを天下統治に使うべきではないとしました。

 

礼節を基本とする徳治主義の儒教や、国家による統制を基本とする法治主義の法家とくらべ、「あるがまま」を主張する「道家」の思想は利用しにくい思想であると言えるでしょう。こと、複数の国家が天下統一を目指してしのぎを削る乱世にあっては、国を統べる王にとって自国の統制こそが重要となってきます。

 

儒家の徳治主義も、法家の法治主義も、よって立つ基本理念こそ対立してはいますが、国家が人民を統制するためには有用な思想と言えます。故に、道家の思想は、乱世においては儒家や法家の思想に対するアンチテーゼとして以上の価値を持ち得なかったとも言えるでしょう。

 

 

国を“自然回復”させることに有用とされた黄老思想

 

黄老思想が台頭した前漢初期の時代は、春秋戦国時代とは世の中の状況が大きく異なります。戦乱が収束し、大きな戦争こそ起こりませんが、数百年に及ぶ戦乱の時代で国土も人民も、荒廃し疲弊しきっていた時代でした。

 

結果として、前漢初期の時代には、国外・国内双方に対し積極的な政策を打つことが抑えられることになります。前漢の五代目皇帝である文帝は、黄老思想に基いて民力休養を政策とし、そのために減税を行います。また、大規模な建設事業なども軒並み中止します。天下を「無為自然」=あるがままに任せ、民力の回復に勤め、国力の増強を計る。「黄老思想」は、戦乱からの回復期にあった前漢初期の統治のための思想として、まさに適したものであったわけです。

 

しかし、黄老思想の全盛は長くは続きませんでした。漢の国勢が回復してくると、始皇帝の時代に衰退した儒教が再び勢力を取り返すことになります。国力が回復し、また国外に異民族の問題を抱えていた漢王朝はより強い君主の指導力を必要とし、そのためには黄老思想よりも儒教思想の方が都合が良かったと言えます。道家の思想はその後、後漢時代に神仙思想や陰陽五行説などと結びつき、「道教」として信仰を集めることになります。三国時代後期には、阮籍を筆頭とする「竹林の七賢」とよばれる文人たちが、道家の老荘思想に基づく「清談」と呼ばれる議論を展開し、国家の有り様を批判しました。

 

竹林の七賢

 

「竹林の七賢」が活動した時代もまた戦乱の末期にあたり、民力が低下していた時代でした。「黄老思想」=「道家」の思想は、まさに国力が疲弊した時代にこそ、注目を集めるものであったと言えるでしょう。

 

 

三国志ライター 石川克世の私見

 

「大きな政府」と「小さな政府」この2つはどちらが正しいか、というものではなく、あくまでその時代における国家の状態により使い分けるべきものと言えます。

 

国内や世界の情勢が変われば日本政府が「大きな政府」寄りの政策に大きく舵を切る可能性も十分あります。為政者に問われるのは思想にとらわれることなく、時代に応じた思想を採用できる柔軟な思考であるのかもしれません。さて、皆様はこれからの日本が採るべき政策は「大きな政府」「小さな政府」どちらであると思いますか?

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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