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[2月2日は戦後初の国際便が就航した日]歴史的な第一歩!日本の国際便再開

2025年2月2日


飛行機(プロペラ)に乗るkawausoさん

 

1947年2月2日、戦後初の国際便が羽田空港を飛び立ちました。この便は東京から上海を結ぶルートで、占領下の日本が国際社会に復帰する象徴的な出来事でした。この就航により、日本は再び世界と空路で結ばれ、国際的な交流の扉が開かれました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦後の空を支えた飛行機とは?

使用されたのはダグラスDC-3。第二次世界大戦中には軍用輸送機として活躍していましたが、戦後は民間航空に転用され、日本航空(JAL)の前身である日本航空輸送が運航を担いました。この飛行機は多くの歴史を背負いながらも、再び平和の象徴として空を舞いました。

 

 

上海との絆が復活

選ばれた目的地は中国の上海。戦争による関係断絶を経て、ビジネスや文化交流の再開を象徴するこのルートは、日本とアジアの国々の再結束のきっかけとなりました。この一歩が、現在の広大な国際航路網へと繋がっています。

 

まとめ

 

戦後初の国際便は、日本の再生と国際的な協力の象徴でした。次に空港を訪れる際、この歴史的なフライトに思いを馳せてみませんか?

 

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