1947年2月2日、戦後初の国際便が羽田空港を飛び立ちました。この便は東京から上海を結ぶルートで、占領下の日本が国際社会に復帰する象徴的な出来事でした。この就航により、日本は再び世界と空路で結ばれ、国際的な交流の扉が開かれました。
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戦後の空を支えた飛行機とは?
使用されたのはダグラスDC-3。第二次世界大戦中には軍用輸送機として活躍していましたが、戦後は民間航空に転用され、日本航空(JAL)の前身である日本航空輸送が運航を担いました。この飛行機は多くの歴史を背負いながらも、再び平和の象徴として空を舞いました。
上海との絆が復活
選ばれた目的地は中国の上海。戦争による関係断絶を経て、ビジネスや文化交流の再開を象徴するこのルートは、日本とアジアの国々の再結束のきっかけとなりました。この一歩が、現在の広大な国際航路網へと繋がっています。
まとめ
戦後初の国際便は、日本の再生と国際的な協力の象徴でした。次に空港を訪れる際、この歴史的なフライトに思いを馳せてみませんか?
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