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玉鳳軍放置の違和感
今回の邯鄲攻略戦。
李牧の狙いは二転三転し
現在は王賁潰しの途中。
王翦はそれを理解している。
にもかかわらず、すぐに救援を送る気配はない。
父としてどうなのか?
この違和感が、読者の不安を煽ります。
王賁は“息子”ではなく“将”
だが王翦の視点は違う。
王賁は息子ではなく、一人の将です。
もしここで守れば、
王賁は永遠に“父の庇護下の将”になる。
王翦が求めているのは、
自分を超える将かも知れない。
ならば試練は避けられない。
冷酷か、それとも信頼か?
王翦は感情を見せない。
だから冷酷に見える。
しかし最前線に配置するということは、
可能性を認めている証でもある。
「耐えられるはずだ」という信頼か。
「耐えられぬならそれまで」という選別か。
その境界は極めて曖昧!
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