40代の筆者が夢中になったゲームと言えば、今や懐かしファミコンでした。ところでファミコンのカセットって、基本は同じ形なのにタイトーやアイレムのようなメーカーは規格が違う独自のカセットを出していましたよね?あれはどうしてなのでしょうか?
実は任天堂が一括生産していたカセット
私たちは、なんとなく、ファミコンソフトは各メーカー(以後サードパーティーと呼ぶ)がそれぞれ製造していたと思っていますが事実は全く違います。ファミコンソフトは任天堂の工場で全て生産されていて、サードパーティーはマスターROMを任天堂に提出してカセットを製造してもらっていたのです。
カセットを製造する任天堂は自分達で製造価格やソフトの規格を決めていて、開発メーカーはそれに甘んじるしかありませんでした。つまり任天堂がファミコンカセットの原価やデザインを決めているのでありサードパーティーに自由裁量がなかったのです。
初期サードパーティーは例外
ただ、任天堂はサードパーティーの歓心を買う目的で初期からファミコン事業に参入していたナムコやコナミ、タイトー、ハドソン、アイレム、ジャレコのような古参には特例としてカセットの自社製造を認めていました。これらのサードパーティーは特権をフルに利用して、独自の規格でカセットを製造しコストカットをして安いファミコンカセットを出したりします。ナムコの名作「ワルキューレの冒険」が3900円と当時の相場である4900円より1000円安かったのは独自にカセットを開発していたから出来た事でした。
スーパーファミコンで例外はゼロに
しかし、全てのファミコンカセットを自社生産にしてメーカーを傘下に収めておきたい任天堂は特例を持つ初期サードパーティーに様々に干渉していきます。そして、スーパーファミコンが開発されると任天堂は特例を全て廃止としスーパーファミコンカセットは同じ規格、同じ色で一括生産されるようになるのです。
任天堂の締め付けが新ハード誕生に繋がる
ところが、任天堂に儲けの多くを持っていかれる初期サードパーティーは独裁に憤慨。任天堂が儲けを独占するならと独自ハードを開発しようとします。その最初のメーカーがハドソンで日本電気ホームエレクトロニクス株式会社と組んでPCエンジンを開発し、サードパーティーを集め、独自に販売網を築いていきました。PCエンジンが一定の成功を収めた事で、プレイステーションやセガサターンのような新ハードが、次々に開発されるようになり、任天堂の独り勝ちは終焉を迎えたのです。
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