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[明智光秀]本能寺の変を正当化?辞世の句の真実とは?

2023年6月23日


明智光秀が剣を持って戦っているシーン

 

今回は本能寺の変(ほんのうじのへん)を決意した明智光秀(あけちみつひで)が詠んだ辞世の句(じせいのく)を紹介します。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

最初に、本能寺の変を決意した有名な句を取り上げます。次に、本能寺の変を起こしたときに詠んだ句を紹介します。この記事の後半では、坂本城(さかもとじょう)跡にある明智光秀の功績を讃える石碑(せきひ)に刻まれた句について取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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明智光秀は本能寺の変を決意!

燃える本能寺

 

本能寺の変を決意した句として「時は今 雨がしたしる 五月かな」が有名です。この句は、明智光秀が1582年5月24日に山城国(やましろのくに
)
の愛宕山五坊の一つである威徳院で詠んだ句です。威徳院で連歌師(れんがし)を招いて連歌を詠んでいました。当時、光秀の句など愛宕山で詠んだ連歌については愛宕百韻(あたごひゃくいん
)
に収められています。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀b

 

なぜ「時は今 雨がしたしる 五月かな」が織田信長を裏切ることを決意した句と解釈できるのでしょうか。この句の「時=土岐」、「雨=天」、「したしる=下知(治)る」にそれぞれ置き換えると次のような解釈ができます。明智光秀の出身である土岐一族は今、天下を治めようとしているという解釈ができます。

 

手紙を読む明智光秀

 

この句はドラマなどで明智光秀の詠むシーンが放送されていることから実際にあったと考えられがちです。しかし、実際に愛宕百韻に収められた句は「時は今 雨がしたなる 五月かな」で、何らかの形で書き換えられたという説もあります。

 

 

 

本能寺の変を正当化!

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

本能寺の変といえば、「時は今 ・・・」という句が有名ですが、本能寺の変を正当化するために詠んだ句も伝えられています。

 

「心しらぬ 人は何とも 言わばいへ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ」です。この句の意味は次の通りです。「自分の心を知らないまたは理解できない人は何とでも言えばよい。身分も名誉も惜しくない」という意味です。

 

火縄銃(鉄砲)が得意な明智光秀

 

本能寺の変を起こすに当たって、明智光秀が織田信長(おだのぶなが)を倒すことが正義であると主張していると考えられます。光秀は正当性を主張し、細川藤孝(ほそかわ ふじたか)筒井順慶(つつい じゅんけい
)
らを味方につけることを考えていましたが、豊臣秀吉の味方となったため山崎の戦いでは戦況が不利になりました。

 

嫉妬している明智光秀

 

山崎の戦いで豊臣秀吉の軍に負けた後、明智光秀は坂本城に逃げる途中で農民に討たれました。

 

 

他に明智光秀の句はあるのか?

お茶を楽しむ明智光秀

 

滋賀県大津市(しがけんおおつし
)
の坂本城跡に明智光秀の功績を讃える石碑があります。坂本城跡にある句は「われならで 誰かは植えむ 一つ松 心して吹け 志賀の浦風」です。この句は琵琶湖にある唐崎の松が枯れてしまったことを惜しむ歌です。明智光秀の人柄を知ることができます。

 

明智光秀(麒麟がくる)

 

この句の隣には明智光秀の生涯についてまとめられています。明智光秀については優れた武将だけでなく、文化人と親交があったことや茶の湯・連歌・詩歌に造詣の深い人物でもあると紹介されています。

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は明智光秀の辞世の句について取り上げました。この記事の前半では、本能寺の変を決意した句「時は今 雨がしたしる 五月かな」と本能寺の変を正当化した「心しらぬ 人は何とも 言わばいへ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ」について紹介しました。

 

織田信長に恨みを持つ明智光秀

 

愛宕山の連歌会で詠んだ「時は今 雨がしたしる 五月かな」という句について、当時参加していた連歌師はどのように感じたのでしょうか。参加した連歌師の中に、この句を聞いて直感で織田信長を討つという決意が込められていると理解した人がいたのか気になります。気付いた人がいたら、明智光秀が裏切るという情報が漏れていた可能性があります。

 

明智光秀の親友・吉田兼見

 

「心しらぬ 人は何とも 言わばいへ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ」という句を紹介した際、光秀の味方になると考えていた細川藤孝や筒井順慶らが豊臣秀吉の軍につきました。本能寺の変を正当化できたとしても、光秀の味方にならなかった要因として、秘密裏に起こしたことが挙げられます。本能寺の変については動機などほとんどが謎のままです。今後の研究に注目したいと思います。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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