諸葛亮は忠義をもって劉禅を支えてきた名宰相として知られています。
しかし劉備は遺言で諸葛亮孔明の忠義を疑うような言葉を述べているのです。本当に劉備は諸葛亮の忠義を疑うような言葉を残しているのでしょうか。
劉備の遺言とは?
劉備の遺言から諸葛亮の忠義について考える前に劉備の遺言について紹介したいと思います。劉備は亡くなる間際、諸葛亮を呼んで「君の才能は曹丕の10倍あり国を安定させて大事業を行はずだ。劉禅が私の跡を継ぐことになっているが、彼が支えるに値する存在であるなら支えてほしい。もし劉禅が支えるに値しない存在であるならば、君が取って代わるべし。」と言葉を残しています。
この劉備の遺言の前半部分は諸葛亮を褒めちぎっている言葉で埋め尽くされています。しかし最後の部分(青字になっている個所)が、劉備が諸葛亮の忠義を疑っているのではないかと考えられる箇所です。どうしてこの青字の部分が諸葛亮の忠義を疑っている部分なのでしょうか。
「君に取って代わるべし」普通に考えればムリそうだが…
「はじめての三国志」の読者の皆様は劉備が諸葛亮に残した「君に取って代わるべし」をどのように考えますか。
普通に考えれば劉備は「劉禅が無能だったら、諸葛亮君が劉禅の代わりに皇帝になりなさいな」と言ったと考えることができると思います。しかしこのように考えるのはちょっと無理があるのです。
三国時代の国家は魏や呉にしても、皇帝の位を継ぐのは世襲制でした。
また三国志以前の歴史(前漢王朝の創始者・劉邦や秦の始皇帝、後漢王朝の創始者・光武帝など)は、劉備のような遺言を残している人物が居ないからです。しかしもしも劉備が次代の皇帝が無能な事で、民衆と国家が不利益を被るくらいなら、有能な人物に皇帝を任せた方がいいと考えた発言だとすれば、何千年も先の思想を持っていたことになります。
ですが、劉備がそのような思想を持っていた事や発言を正史三国志の中から発見することができませんでした。そのため劉備が諸葛亮に「劉禅が無能なら君が皇帝になりなさい」と言う遺言を残す可能性は極めて低いように思われます。
では劉備は「君に取って代わるべし」の言葉をどのような気持ちで諸葛亮へ言ったのでしょうか。
「君に取って代わるべし」は諸葛亮の忠義心を試した発言!?
劉備が諸葛亮へ残した「君に取って代わるべし」は「劉禅が無能なら諸葛亮が皇帝になるべし」と諸葛亮へ言ったわけではない事を説明しました。では劉備はどのような思いを込めて「君に取って代わるべし」と残したのでしょうか。
それは劉備が諸葛亮の忠義を試すために「君に取って代わるべし」と言葉を投げかけたのではないでしょうか。諸葛亮は荊州名士・司馬徽から「伏龍」と言われるほど優秀な人物で、内政では劉備軍の武将の中でもトップクラスの実績を残しています。
劉備の彼の実績を評価して爵位を上げていきますが、同時に優秀すぎる部下は、自分に対して謀反を起こす危険を孕んでいます。そのため劉備は優秀な諸葛亮が死後、劉禅に取って代わって皇帝になる可能性があるかもしれない危険性を無くし、劉禅が皇帝として磐石な地位を確立する為、諸葛亮へ「君に取って代わるべし」と言葉を投げかけ、諸葛亮の忠義心を試したのではないでしょうか。
涙を流して答える諸葛亮
諸葛亮は劉備の遺言を聞いてどのような対応をしたのでしょうか。
正史三国志によれば諸葛亮は劉備の言葉を聞いて涙を流しながら「私は皇帝に対して忠誠を尽くして働いていき、この気持ちは死ぬまで変わらないでしょう」と述べています。この言葉は劉備が「自分を疑っている」と悟った諸葛亮が、自分の忠誠心を示すために劉備へ残した言葉だと考えればあながち間違えではないと思うのですが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は劉備の遺言から諸葛亮の忠義について考えてみました。
正史三国志の作者・陳寿は「劉備の遺言は古今の歴史を通じて君臣関係において最も公平無私な態度を示したお手本であろう」と劉備と諸葛亮の二人を褒めちぎっています。レンは陳寿の発言に真っ向から対立するのではなく、このような考え方もあるのではないかなと思い紹介しました。
皆様は劉備が諸葛亮へ残した遺言をどのように思いますか。
■参考 三国志素顔の英雄たちなど
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