英雄の死因
英雄の墓特集




はじめての三国志

menu

はじめての蜀

蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?

劉禅




劉禅

 

劉備玄徳の子であり、蜀の二代目の皇帝でもある劉禅(りゅうぜん)は、

暗君であったとされています。

その幼名の阿斗(あと)を取って「扶不起的阿斗

(救いようのない阿斗)ということわざが残されているほどです。

 

しかし、本当に劉禅はそこまで貶められなければならないほどの暗君だったのでしょうか?

諸葛孔明亡き後、彼の置かれた境遇を見直してみると別の一面が見えてきます。

 

じめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:君たちはどう生きるか?アホ劉禅に学ぶ聡明な生き方

関連記事: 蜀滅亡後、安楽公として余生を楽しんだ劉禅の最期と心情

 

 

「救いようのない阿斗」と言われるようになったきっかけ。

劉禅

 

蜀滅亡の後、魏に投降していた劉禅はその身柄を洛陽へと移されました。

彼を宴会に招いた魏の将軍、司馬昭「蜀が懐かしくはないですか?」と尋ねると、

 

「ここは楽しい。蜀のことなど思い出しもしない」と笑って答え、

周囲を唖然とさせたと言われています。

 

見かねた劉禅の家臣が

 

「あのような質問には『先祖の墳墓もある西の国

(注:蜀は洛陽から見て西にあります)を思い悲しまない日はありません』とお答えください」

と諌めると、司馬昭は同じ質問を繰り返しました。

 

劉禅は家臣に言われた通りの答えを返し、周囲はその発言に大笑いをしたということです。

 

司馬昭はそんな劉禅の様子を見て、

「こんな愚鈍な男が君主だったのでは、たとえ孔明が存命していたとしても、

蜀は滅亡を免れ得なかっただろう」と言う感想を残しています。

 

この逸話から生まれたのが「救いようのない阿斗」ということわざでした。

 

 

圧倒的に不利な状況にあった蜀

孔明と司馬懿

 

劉禅が蜀を統治していた時代、魏と呉、そして蜀の国力の比は、

およそ6:3:1であったと言われています。

蜀一国ではどうあがいても魏を打ち破ることは愚か、対抗することすら困難な状況でした。

 

蜀は現在の四川省に当たる土地にあり、

険しい山地に囲まれたその地勢はまさに天然の要害、国を守るにはうってつけです。

しかも、蜀には品質の良い銅を産出する鉱山がありました。

 

董卓の政策によって粗悪な貨幣が広まって貨幣経済が破綻した後、各国はその回復に努めましたが、

魏では貨幣の信用価値が回復せず、経済は物々交換主流で行われていたと言います。

対して蜀では良質の貨幣が鋳造され、比較的安定した貨幣経済が成立していました。

 

関連記事:後漢末の貨幣経済を破綻させた、董卓の五銖銭(ごしゅせん)

関連記事:三国時代の経済ってどうなってたの?

 

蜀の大きな問題:人

泣く民027

 

しかし、同時に蜀は大きな問題をいくつも抱えていました。

守るに易い地勢は、裏返せば攻めに出ることも困難であると言えます。

 

孔明の策に従った劉備が、あくまで漢朝の復興をその理念に掲げていた以上、

蜀は魏を討つことを至上命題とせざるを得ませんが、

蜀はそれを為すには適当な地とはいえません。

 

なにより深刻であったのは『人』の問題です。

険しい山地を抱える蜀には、田畑を作るための肥沃な土壌に欠けており、

それは人口の圧倒的な差として現れています。

 

また、宮廷が派閥の対立の場になっていたことも重大な問題でした。

 

劉備は蜀の地から遠く離れた徐州で挙兵しています。

その後荊州を経て蜀に入った劉備の宮廷には、

挙兵から付き従って来た徐州閥、荊州から加わった荊州閥、

そして元々蜀の地=益州に根を張っていた益州閥の三派が存在していたのです。

 

徐州閥の者にとって、他の派閥の者は新参者に過ぎませんし、

古来益州に根付いていた益州閥から見れば、他の者はよそ者に過ぎません。

 

圧倒的な人口差、そして一枚岩になりえない宮廷の状勢……

それは蜀が魏に対峙するためには決定的に不利な条件を作り出していたと言えるでしょう。

 

関連記事:三国志地図|中国にも九州があった?州について分かりやすく解説

関連記事:曹丕(そうひ)得意の詩で蜀の調理法を斬る

 

破綻した『天下三分の計』

孔明バージョン 三国志 軍師

 

諸葛孔明が劉備に『天下三分の計』を提示した時、

これを成立させる為に絶対必要な前提条件がありました。

 

それは荊州と益州の二州を支配下に置くというものです。

荊州は益州と比べて肥沃な土地に恵まれ、人口も圧倒的に多く、

さらに優良な鉱物資源を産出する鉱山をその領内にかかえていました。

 

更に、荊州は揚子江を挟んだ河北から河南への交通の要衝にあたり、

蜀から河北の魏へ進行するには絶対に押さえてなければならない、軍事上の要路でもあったのです。

 

劉備は孔明の策に従い、まず荊州を支配下に置いた後益州に侵攻、

両州を押さえて天下三分の計は成ったかに思われました。

しかしその後、荊州を任されていた関羽は魏と呉の連合軍との戦いで破れてしまいます。

関羽は敗死し、蜀は荊州を失います。孔明の天下三分の計はこの時点で破綻してしまいました。

 

関連記事:あの甘寧が? 天下二分の計を唱えた三国志一の海賊王

関連記事:絶望する劉備に孔明が授けた天下三分の計

関連記事:三国志初心者の為の諸葛孔明ってどんな人

 

「白い糸は染められるままに何色にも変ずる」

董允 劉禅

 

劉禅は配下の言に良く従う君主でした。

孔明存命の頃はその言葉に従い、彼が病没後も、蔣琬や費褘、

董允といった有能な配下に支えられ、国政を維持していました。

 

劉禅は進んで善政を敷くことはありませんでしたが、

後に暴君と化した呉の孫皓のように進んで悪政を行うこともなかったのです。

劉禅は主君としての積極性には欠けてはいましたが、

臣下の言葉に耳を傾けることのできる君主でした。

 

黄皓

 

しかし、有能な臣下を引退や病死で次々と失い、

宦官の黄皓が宮中の実権を握るようになると、国政は乱れ始めます。

この時点で、黄皓が国政を壟断することを止めることができる人材は、もはや蜀にはいませんでした。

 

また、孔明の意志を継いだ将軍の姜維は積極的に北伐を行っていましたが、

この事が国力を疲弊させる元凶ともなったのです。

 

結局、劉禅が魏軍に投降したのも、臣下の勧めに従った結果でした。

正史三国志を編さんした陳寿は劉禅を「白い糸は染められるままにどのような色にでも染められる」、

すなわち、臣下次第で良い君主にも悪い君主にもなる人物と評しています。

 

【蜀のマイナー武将列伝】
魏のマイナー武将列伝

 

40年間在位した皇帝

劉禅

 

劉禅の皇帝としての在位期間は実に40年に及びます。

これは同時代に皇帝に即位した者達の中で、最も長い在位期間に当たります。

 

劉禅が在位していた時代、蜀では謀反や反乱も起こらず、彼は国が滅びるまで、

その地位を全うしたのでした。

 

彼が本当の暗君なら、もっと早く皇帝の座を追われていたのではないでしょうか。

 

劉禅が名君であったのかと問われるなら、そうではないと答えざるをえません。

確かに彼は凡庸で君主としての自らの意志を持たず、

臣下の言に振り回されるだけの人物であったかもしれません。

しかし、安定した長期王朝の世継ぎとして、十分に有能な臣下に恵まれていれば、

おそらく暗君と呼ばれるような運命をたどることはなかったはずです。

 

亡き先君の遺志に劉禅が大きなプレッシャーを抱いていたことは容易に想像することができます。

その事を念頭に置いた上で、先に紹介した司馬昭との会話を思い出すとき、

そこにはまた違った意味が隠されているような気がしてなりません。

 

関連記事: ひとりしかいない筈なのにたくさんいた? 『皇帝』のお話

 

魏の滅亡を目にした劉禅

劉禅

 

劉禅に対する後世の評価が厳しいのは、劉備や孔明との対比のためと考えるべきではないでしょうか。

三国志演義漢民族にとってのプロパガンダ的性質を持った読み物であった以上、

劉備や孔明が英雄視されたその反動として、彼らの遺志を全うし得ず、蜀を滅亡させた劉禅には、

必要以上に厳しい評価が下されていると見ることができるでしょう。

 

司馬炎によって皇位が簒奪されて晋が成立した時、劉禅はまだ存命していました。

 

劉備が、そして孔明が打倒しようと志し、結局果たし得なかった、

その強大なる敵手であった魏が、

内部崩壊で滅んでいったその様を目の当たりにした劉禅の胸中には、

いかなる思いが去来していたのでしょうか?

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:実子劉禅(りゅうぜん)と養子劉封(りゅうほう)の明暗

関連記事:かわいそうな阿斗(あと)の壮絶な人生

関連記事:司馬炎(しばえん)ってどんな人?三国時代を終わらせたスケベ天下人

 

【記事の見落としゼロ】はじ三配信スケジュール
配信スケジュール

 

 

耳で聞いて覚える三國志




石川克世

石川克世

投稿者の記事一覧

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、
兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。

好きな歴史人物:

曹操孟徳
織田信長

何か一言:

温故知新。
過去を知ることは、個人や国家の別なく、
現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

関連記事

  1. 秦宓(しんふく)とはどんな人?口先プロフェッショナルの人生
  2. 羅憲 劉備は何で蜀を建国しようと思ったの?三国志演義で人気を占める蜀の…
  3. 92話:劉備を徹底的に追い詰める張任
  4. 諸葛均 孔明の弟 ゆるキャラ 諸葛均(しょかつきん)とはどんな人?諸葛孔明の弟に迫る!
  5. 蜀の劉備 実は大激戦だった!劉備の蜀獲りを地図で見ると意外なこともわかる!…
  6. 郤正 郤正(げきせい)とはどんな人?蜀のポンコツ皇帝を支えた文学者
  7. 劉邦や劉備も手本にした人物 「重耳」 とは?
  8. 馬超の仲間入り 96話:孔明の計略炸裂!馬超は劉備の軍門に下る

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 王平は四龍将
  2. 程昱(ていいく)
  3. 岳飛(南宋の軍人)
  4. 郭嘉

おすすめ記事

  1. 【呉vs魏】あんまり知られていない芍陂の役ってどんな戦いだったの? 解煩督 呉
  2. 土方歳三の趣味は俳句、どんな句を詠んでいた? 新選組の土方歳三
  3. 曹操も思わずツイート!三国志の時代に造られた精巧な地図 旅 バイク
  4. 21話:汜水関の戦いの功労者 関羽VS華雄
  5. 廖化(りょうか)ってどんな人?蜀漢成立~滅亡まで戦い続けた蜀の将軍
  6. 117話:司馬懿仲達、三国志の表舞台に出現!劉禅は劉備の後継者に。

三國志雑学

  1. 雨の中進軍する曹真
  2. 宦官の趙高(キングダム)
  3. 張遼・楽進・李典
“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 司馬徽
  2. アンティキティラ島の機械
  3. 文帝(前漢)

おすすめ記事

京劇の格好をした関羽 なんで関羽の顔は赤いの?京劇が関係している? 明智光秀 wikipedia 【センゴク】想定外!織田信長を討った明智光秀の誤算ってなに? 三国志・無双アクションRPGの究極を目指す!『極無双 -GOKUMUSO-』の事前登録が開始! 【はじさん編集部】第3話 大三国志スキルカイトルで一攫千金の巻! 藺相如(りんしょうじょ)とはどんな人?三大天の一人!趙の名宰相であり廉頗のかけがえのない親友(1/3) 水滸伝って何? 書類や本 宋代の文学作品『宋名臣言行録』とは?分かりやすく解説 kawauso編集長のぼやきVol.28「ラヂオの時間」 立花宗茂 立花宗茂とはどんな人?大河ドラマ希望ナンバー1武将の人気に迫る

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集
“邪馬台国"

“三国志人物事典"

PAGE TOP