三国時代は魏・呉・蜀の三つの国が争った時代で、現代でも人気を博している中国古代の物語です。この三国時代は魏・呉・蜀三つの国がメインとなっていますが、これらの国のほかに中国の最南端で大勢力を持っている一族がいました。
その一族とは士氏で、南海を収めていた人物は士燮と言います。そして今回の主人公は南海の覇者・士燮ではなく彼の弟の息子・士匡を紹介したいと思います。
南海の覇者・士燮の弟の息子として生まれる
士匡のパパ・士壱は交州刺史を殺害したのち、朝廷から合浦太守に任命。その後士壱は士燮が孫権に従属することになると偏将軍と候の位を授与されることになります。
この時士匡も孫権から官位をもらうことになります。
孫権配下と親友になる士匡
士匡は士燮が孫権の配下に加わった為、孫権の配下たちと交友関係を持つことになります。士匡は孫権配下の武将たちと交友関係を結びますが、ある人物と意気投合し、仲良くしていくことに。
士匡と意気投合し仲良くなった孫呉の武将は呂岱です。士匡は呂岱と酒を飲みながら語り合ったり、一緒に狩りに行ったり、詩を作ったりしながら、過ごしていきます。呂岱は士匡の語り合いで彼の見識の高さに感心し、士匡へ「私と親友であり、先生になってほしい」とお願い。
士匡は呂岱のお願いを快くOK。こうして二人は親友関係でありながら、呂岱の師匠となるのでした。二人の関係は長く続くことになりますが、士燮が亡くなった事が二人の関係性にひびが入ってくることになります。
士徽の反乱!!
南海の覇者・士燮は高齢であったため、亡くなってしまいます。孫権は士燮が亡くなった事を知ると、士燮が領土としていた地域に太守を派遣。しかし士燮の息子・士徽は士燮が亡くなると、士燮の跡を継ぎ、孫権が派遣した太守を攻撃して反乱を起こします。
呂岱の策
呂岱は孫権から士徽の討伐を行えとの命令を受けると軍勢を率いて出陣。呂岱は士徽討伐を行う前に親友の士匡の元に立ちよります。呂岱は士匡に会って士徽へ降伏するように説得してもらえないかとお願いします。
士匡は呂岱の考えに賛同し士徽を説得するために彼の元へ向かうことに。更に呂岱は士徽へ手紙を送って降伏しない場合、「悲惨なことになる事。」「降伏すれば今の地位を得ることはできないが、命の保証がある事など」を書き記し送付。こうして呂岱は士徽を説得するために手だてを尽くしますが、他にもう一つ作戦を考えていました。
士徽の説得に成功
士匡は士徽に会うと呂岱の言葉を伝え、孫権へ降伏するように説得。士徽は士匡の言葉を受けて孫権へ説得することに決め、呂岱がやってくると彼を迎えて、降伏することを伝えます。
呂岱は士徽が降伏してくることを喜び、彼の為に宴会を催しおもてなしをします。呂岱は士徽をもてなしたのち、宿舎を与えて優遇。呂岱は士徽が降伏してきたので、以前から考えていた秘密の作戦を決行することにします。
士徽を殺害し士匡の官位をはく奪
呂岱は翌日士徽を役所へ連れてこさせると、彼の罪を挙げた後、約束していた命の保証を反故にして、殺害してしまいます。更に呂岱は士徽の兄や弟もすべて殺害。
士匡は呂岱が約束を破った事を知り逃亡しますが、後に孫権の元へ出頭しますが、官位を全てはく奪されてしまい、庶民へ落とされてしまうのでした。こうして南海の覇者として威厳を持っていた士燮一族は滅亡し、士燮が保有していた領土はすべて孫家の物になってしまいます。
三国志ライター黒田レンの独り言
士匡は従兄弟を守るために呂岱との約束を信用して、士徽を説得したのにも関わらず、すべての約束が破棄されてしまい、人生のどん底に落ちてしまいます。親友でも心を許してはいけない一例だと言えますが、あまりにも呂岱のやり方はひどいと思うのですが、皆様はどのように思いますか。
■参考 正史三国志呉書など
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