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戦国一のフェミニスト大名[毛利元就を解説]

2023年9月9日


毛利元就

 

毛利元就は、中国地方で名高い大名であり、その権謀術数で知られています。しかし、彼は、弱い者が犠牲になる戦国時代において珍しいフェミニストの一面も持っていました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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4歳で母を、10歳で父を失う

仙台城

 

毛利元就は、1497年に安芸の国人領主である毛利広元と正室の福原氏との間に生まれました。しかし、彼が4歳の時に生母が病死し、10歳のときには父の広元も過度の飲酒が原因で亡くなりました。その頃、元就の兄である興元は上洛しており、本拠地にはおらず、重臣の井上元盛がこの機に乗じて、元就が住んでいた多治比猿掛城を奪いました。

 

父の継室、杉大方の無償の愛

於大の方(女性)

 

孤児同然となった10歳の元就を救ったのは、彼の父広元の継室である杉大方でした。彼女は元就の苦境を不憫に感じ、まだ若かったにも関わらず、実家に帰ることも再婚することもなく、元就を引き取り女手一つで育てました。元就は、血の繋がりのない杉大方が自分を育てるために尽くしたことを深く感謝、尊敬し、以後、女性を尊重する戦国大名となります。

 

正室を一筋に愛し、娘を溺愛

明智光秀と煕子(麒麟がくる)

 

例えば元就は、正室妙玖が亡くなるまで側室を持ちませんでした。これは正室以外にも側室、妾を置くのが普通だった戦国大名では珍しい事です。また、元就は妙玖の産んだ次女五龍局を溺愛しており、娘が宍戸隆家に嫁いだ後も、彼女の愚痴を聞いたり、家庭問題を仲裁したりする子煩悩な一面をもっていました。

 

遺言に女性への平等を訴える

暗殺(寝ているシーン)モブ

 

晩年、元就は遺言の中で息子である吉川元春と小早川隆景に対し、妹の五龍局を軽んじず、平等に扱うように命じ約束を守らなければ恨むと書いています。毛利元就は女性を尊重し、妻を愛し、娘の将来を心配する女性への思いやりが深い人であり戦国時代のフェミニストと呼べるでしょう。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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