三国志演義では曹操が典韋を配下として加えた時、典韋の容姿を見て「古の悪来のようだな」と言っています。
さて曹操が典韋に向かって言ったこの悪来ですが、褒め言葉なのでしょうか。
また「悪来」とは一体何を表しているのでしょうか。
曹操が使った「悪来」って一体何??
曹操が典韋へ向けて「悪来」と三国志演義では言っていますが、そもそも「悪来」って何なのでしょうか。
褒め言葉なのかどうかもわかりませんし、レンが典韋だったら頭に「??」マークが千個くらい出てしまいそうです。
では「悪来」が一体何なのかちょっと調べてみました。
「悪来」は司馬遷が書いた書物「史記」に登場します。
悪来は人の名前ですがそもそも悪来なんて名前はなくあだ名でした。
悪来の本名は殷の時代に登場する嬴来という人物です。
嬴来は殷の時代に剛力でもって知られており、嬴来の父は足が速いことで知られていたそうです。
殷の紂王はこの二人の特徴に目をつけて配下に加えることにしたそうです。
曹操が典韋に使った「悪来」とは古の武将・嬴来の事であり、褒め言葉として受け取っても良さそうですね。
でもなんで曹操は嬴来を悪来と呼んだのでしょうか。
そこにはこんな隠れたエピソードがありました。
政治を悪用した悪来
嬴来はその後紂王から政治を任されるほど信頼され、活躍していました。
嬴来は政治を任されると権力を握り続けるために人を騙して、傷つけまくったそうです。
殷の諸侯は嬴来があくどいことばかりしていた為、彼を影で「悪来」と呼んでいたそうです。
さて上記で「悪来」が何なのかを説明しましたが、曹操が典韋を見て「悪来」と呼んだのは果たして褒め言葉なのでしょうか。
「悪来」は褒め言葉!?
曹操は典韋を初めて見た時古の武将「悪来」と呼んでいます。
曹操が使ったこの「悪来」の由来は上記で説明しましたが、果たして褒め言葉なのでしょうか。
レンは多分曹操が典韋に対して使った「悪来」は褒め言葉だと思います。
上記でも説明しましたが「悪来」は剛力の武将でした。
正史三国志によると典韋の容姿は「筋力が人並みはずれて優れている」と記しています。
このことから想像すると曹操は初めてプロレスラーのようなムキムキマッチョの典韋を見た時頭に閃いたのが「悪来」だったのでしょう。
それくらい曹操は典韋を見て頼もしく思っていたのではないのかなと思います。
曹操は典韋が「悪来」のように人を傷つけるような心配はしなかったの??
「悪来」は人を傷つけまくった政治家としての一面を持っていると上記で説明しました。
曹操は典韋を見て剛力で頼もしく思ったけど、悪来のように典韋がなるのではないのかと心配しなかったのでしょうか。
多分曹操は典韋が「悪来」のような人にならないだろうと予測していたと思われます。
典韋は夏侯惇に連れられて曹操の配下になりましたが、夏侯惇から典韋の性格をある程度教えられていたはずです。
そのため曹操は典韋を初めて見ても「悪来」の剛力部分を褒めたにすぎず、あくどいことをするような心配を典韋に持っていなかったと思います。
三国志ライター黒田レンの独り言
結論は曹操が典韋へ贈った「悪来」と言う言葉は褒め言葉だったと思われます。
しかし典韋は曹操から贈られた「悪来」の意味を知っていたのでしょうか。
こればかりは典韋に聞いてみないとわかりませんが、もし典韋が「悪来」の由来を知っていたら、曹操の言葉を聞いて
チョットイラっとしたのではないのかなと思います。
なぜなら「悪来」の由来は人を傷つけた事が原因なんですから。
でも典韋が「悪来」の由来を知っていて曹操の贈った言葉に喜んだとしたら、典韋がかなりの古代に詳しい武将だったと言え、
典韋の新しい一面を発見することになるのではないのでしょうか。
参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志魏書】等
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