魏の武将の中で一番人気のある張遼。張遼は合肥の戦いで孫権軍10万に対して、700人で奇襲攻撃を仕掛けて大勝利をおさ、最強の武将として知られるようになります。しかし張遼はどのような武器を持ってたのでしょうか。今回は張遼の武器についてご紹介しましょう。
張遼の武器は本当に双鉞だったの!?
三国無双のゲームに登場する張遼は双鉞を奮って、敵兵をバッタバッタと斬り倒していますが、史実の三国志でも双鉞を奮って敵兵を倒していたのでしょうか。張遼は孫権軍に奇襲作戦を行った際、正史三国志・魏書張遼伝によると双鉞を使っていませんでした。ではどのような武器を使って孫権軍に奇襲攻撃を仕掛けたのでしょうか。
張遼は孫権軍に奇襲攻撃を仕掛けた時、鎧を着て戟を持って、孫権軍に奇襲攻撃を仕掛けたと正史三国志・張遼伝に記載があります。そのため三国無双のように双鉞を持って敵陣に突撃を仕掛けたわけではないようです。
三国無双の歴代の張遼の武器
ちょこっと三国無双の話出てきましたので、ここでは三国無双の歴代の張遼の武器をご紹介しましょう。三国無双の4までの張遼は青龍鉤鎌刀と言われる武器が主な武器でした。
この青龍鉤鎌刀は関羽が使っていた青龍刀をイメージして頂ければ、わかりやすいと思います。張遼は三国志演義ですと関羽を友人だと思っていたので、そこから関羽が使っていた武器を使用するようになったのかもしれませんね。
レンは三国無双のはじめの方をやっており、張遼の青龍鉤鎌刀が非常に使いやすくて、ずっと張遼ばかり使っていました。しかし三国無双5から張遼の武器は二本の双鉞に変化し、現在では張遼の武器=二本の双鉞に固定され、合肥の戦いのステージでも、二本の双鉞を振り回して敵陣へ出陣するシーンが描かれています。
この双鉞ですが、攻撃範囲が広く多くの敵を攻撃することができます。また三国無双7の張遼は隠し武器なるものがあり、この隠し武器を手に入れることができれば、三国無双の一番難しいステージである修羅も手こずらずにクリアすることができ、合肥の戦いの時に活躍した最強の張遼を味わうことが出来るでしょう。
三国時代の主な武器とは
上記では三国無双の張遼の武器をご紹介しましたが、史実の三国時代は一体どのような武器を主流として使用していたのでしょうか。三国志の時代は移動距離が長いため、機動力を重視した馬に乗って戦うことも多ったため、槍や戟、矛などの軽くて片手で仕えるタイプの武器が主流でした。
また他にも長距離から敵を攻撃することが可能な弩が使用されています。ついでにこの弩は弓のように射術を高める訓練をする必要がなく、誰でも簡単に的へ撃ち込めるのが特徴です。そして蜀の丞相・諸葛孔明は、この弩の連射版・連弩を改造して、小型版の連弩を製造。諸葛孔明は北伐戦の時、蜀軍の兵士に持たせて、魏軍へ攻撃する為に使用していたそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は張遼を主軸として、三国志の時代に使われていた武器も一緒にご紹介しました。他にも多くの武将が戟を使っていることが今回分かり、三国無双のように武将がそれぞれ固有の武器を持っていないのが、ちょっと残念でした。
さてこの記事を読んで、三国志の武器事情をもっと知りたいと思ったそこのあなた!!はじめての三国志では三国志の時代の武器の事をいっぱい取り上げているので、ぜひ「三国志・武器」で検索してみてください。より三国時代の武器事情に詳しくなれますよ。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書 今鷹真訳など
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