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魏と呉の死闘!合肥の戦いの結果とは?

2022年7月5日


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三国時代の弓兵(兵士)

 

合肥(がっぴ)」は戦略上重要な場所でした。その合肥をめぐり、()()の間で何度も激しい戦いが繰り広げられました。その一連の戦いを「合肥の戦い」と言います。

 

なかなか決着がつかなかったと言われるこの合肥の戦いですが、その結果はどうなったのでしょうか。今回の記事ではそんな「合肥の戦い」について調べてみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「合肥」という場所

合肥の戦いの地図

 

「合肥」は現在の安徽省(あんきしょう)省都(しょうと)にあたり、これは中国の平原地帯の中心部に位置しています。長江(ちょうこう)を挟んで北側、南側に進撃するいずれの場合でも合肥を通過する必要があり、中国北部から南部に進出、もしくはその逆側から進出する際にも重要な拠点となっていました。

 

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赤壁の敗北が「合肥の戦い」のきっかけに

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

西暦208年、曹操(そうそう)は「赤壁(せきへき)の戦い」で敗北してしまいました。曹操を破った勢いのまま、孫権(そんけん)は北上し、合肥を攻撃します。

 

曹操は「蒋済(しょうさい)」を派遣、彼は「援軍4万が向かっている」という偽の手紙を孫権軍に奪わせることによって慌てた孫権軍を撤退させることに成功します。

 

最終的には協力して戦う李典や楽進と張遼

 

その後も北上の気配を見せる孫権をにらみ、合肥は最も重要な戦略拠点となりますので、曹操はそこに「張遼(ちょうりょう)」「楽進(がくしん)」「李典(りてん)」という歴戦の勇将を派遣し、守りを固めました。

 

 

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赤壁の戦い

 

 

合肥での最大の戦い

孫権に攻められ戦死する黄祖

 

合肥での最も大きな戦いが行われたのが西暦215年の事です。孫権は劉備(りゅうび)との荊州(けいしゅう)争奪戦がひと段落し、再び北上を開始しました。孫権自ら10万の兵を率いて合肥城に向かいます。それに対して張遼率いる合肥守備軍はわずか7千人にすぎず、あっという間に孫権軍は城を包囲します。

 

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合肥の戦い

 

 

張遼、奮戦す

取り残された部下を助けに行く張遼

 

諸将は動揺しますが、張遼は「援軍到達まで耐えようとしてもこの兵力差では困難だろう。それなら孫権軍の出鼻をくじき、その後守りに徹すれば孫権軍は攻撃が慎重になり、城を守れるだろう。」と決死隊800人を募り、孫権軍に夜襲を仕掛けます。

 

張遼 カカロットーーーー!

 

張遼は自ら先頭に立って槍を振るい、孫権の本陣に迫ります。その張遼の戦いぶりに孫権軍は恐れ、思わず道を譲った、とも言います。張遼が夜が明けるまで戦い続け、その後撤退。張遼の読み通り、その後の孫権軍は勢いが落ちます。

 

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張遼

 

 

孫権、撤退する

進撃が止まらない張遼

 

孫権軍は士気が落ち、結局は合肥を陥落させることはできませんでした。加えて陣中には疫病が蔓延。孫権は合肥からの撤退を始めます。そこに張遼と楽進が兵を率いて攻めかかります。孫権軍は包囲され、自身も矢の雨にさらされてしまいます。

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

そんな中孫権配下の「凌統(りょうとう)」がわずかな配下とともに奮戦、何とか孫権の逃げ道をつくります。しかし、退路の橋は張遼によって落とされており、絶対絶命のピンチに。

 

そんなとき孫権配下の「谷利(こくり)」というものが孫権の馬に鞭を打ち、何とか孫権の馬は橋を飛び越えることに成功します。今回は合肥攻略は失敗しましたが、その後もたびたび孫権は合肥を狙っていくのです。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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