幕末前期の最重要人物とされているのが吉田松陰です。安政の大獄で処刑された彼ですが、彼が最晩年に野山獄で友人に宛てた草莽崛起論は、名もなき志士に勇気と行動力を与え維新の原動力になりました。ですが、そんな草莽崛起論どんな事を書いてあるのか?実際に読んだ事がある人は少ないのではないでしょうか?
そこで、はじめての三国志では松陰の草莽崛起論の全文を現代語訳して分かりやすく解説しました。これを読めば、吉田松陰について知ったかぶりできますよ。
この記事の目次
草莽崛起論は単体の本でなかった
実は、草莽崛起論は単体で著作になったものではありません。1859年に長州の野山獄に収監された吉田松陰が親交のあった北山安世への手紙の中で触れた思想で、もう幕府も朝廷も雄藩も当てにはならない、頼めるのは在野にいる名もなき志士の力だけであると書いたものです。
これを読んだ松陰の弟子の久坂玄瑞が、草莽崛起論に感銘を受けて坂本龍馬や武市半平太、各藩の藩士に出した手紙に盛んに記した事から、世の中に広く知られる事になった思想です。
政治は幕府の独占物であると信じられた当時、草莽崛起論は、非常な感銘を以て、若いサムライ達に受け入れられて全国的に、尊攘の嵐が吹き荒れる切っ掛けになっていきます。草莽崛起論は、政治は一部の人間の所有物ではなく、国民一人、一人のものであるという思想にも繋がり国民国家、国会の開設などの政治運動のバックボーンにもなりました。
幕府が全く頼りにならない理由
牢獄の中で情報も限られる中なので、
いたらない議論も多いでしょうがご容赦下さい。
ですが、社会のおおよその動きは把握しているつもりです。
まさに現在、日本は沈没の瀬戸際にあります。
幕府には、とうとう人物が出ませんでした。
事細かい事には対応できる人もいますが
広く世界の情勢を見て、一本、芯の通った大戦略を
述べるだけの人物がいないのです。
こんな事ですから、西洋に行動をコントロールされ
最近はますます外国の言いなりになっています。
1853年に開国の議論があってから6~7年になりますが
未だに日本から船を出して海外で積極的に情報を収集する
そんな兆しさえないではありませんか?
アメリカの首都、ワシントンが何処にあるのか?
イギリスの首都、ロンドンはどういう所なのか?
それも分からない絵空事で、どうして世界情勢を
コントロール出来るというのでしょう。
幕府の臣というのは、ただ贅沢に暮らしているだけの田舎者
絹の袴を穿いて上品ぶっているだけの軟弱人ばかり
たまさか、その中に1、2人の豪傑がいるとしても、
バカな人間がその周囲を取り巻いていては、
とても、とても、その才能を奮う余地もありません。
歴史を振りかえると、南北朝時代の東晋や、南宋等が
ついに中原を回復しなかったのも、そのせいでしょう。
ましてや、徳川の体たらくは・・彼らに政治を任せて
アメリカ、ロシア、イギリス、フランスに良いように
あしらわれ、どの程度独立を保持できるものか?
本当に、大きなため息しか出てきません。
吉田松陰を偏狭な攘夷主義者と決めつけるのは根本的な誤りです。彼は自身もアメリカに渡ろうとして失敗するなど敵となる諸外国の動向の収集に熱心でした。それをしない幕府の旧態依然に対して松陰は呆れ怒っています。
※偏狭:視野が狭く偏っている様
朝廷も雄大な志を忘れ感情論を振り回し情けない限り
幸福な事には、我が国には英明なる天子が居られます。
外国の侮りを受ける事態に深く、御心を傷めておられますが
朝廷は古臭くカビの生えた因習が幕府よりひどく
その公家の皆さんの言い分とは、ただ外国人を近づけては、
神国日本の穢れという感情論ばかりです。
かつては大陸に進出していた雄大な戦略を思い出す事なく
これでは、幕府のいいなりになるより仕方ないのは
無理からぬ有様だと言えます。
ましてや、雄藩の大名に至っては外国の鼻息を窺うだけ
何の建前もありはしません。
幕府、朝廷、雄藩、これらが外国に降伏してしまえば
我々一人一人もその後に続いて降伏するしかありません。
独立を貫いて三千年の我が日本、
今に至って外国の植民地になる屈辱を受ける事は
燃える血潮を持つ有志として見るに耐えません。
吉田松陰というと軍国主義思想の大本のように言われますがそれも一面的です、当時の朝廷が奈良時代以前には大陸に植民地を持ち、国際情勢にも目を向けていた事も忘れ、「ただ異人は汚らわしいから攘夷せよ」と排他的な精神に陥っている事を嘆いています。こんな事では幕府に追従するのも当たり前だと断じていて、松陰が盲目的な天皇主義者でない事が現われています。
今こそ立てよ草莽!国家主権を取り戻せ
ナポレオン1世を思い起こしてフレーヘードを唱えねば
この腹の中のムカムカを抑える事も出来ません。
僕は、自分の考えている事をすべきでないと知りつつも
昨年以来、僅かな力で出来る限り身を砕くも何の効果もなく
いたずらに監獄に座す立場に落ちただけです。
こんな危険な事を言えば一族にまで罪が及ぶでしょうが
今の幕府も大名も、もう酔っ払いに過ぎずアテに出来ません。
在野の志ある人々の出現を頼むほかに希望はないのです。
ですが、藩の恩と天子様の徳とはどうしても忘れる事は出来ません。
在野の志士の力を以て、当面は藩を支え、ゆくゆくは天子を支え
衰えてしまった朝廷の力を回復できたならば、
在野の人間の忠誠を遥かに超える所業ではあるけれども、
日本の為に大きな手柄を立てたと言えるでしょう。
このような人こそ、斉の桓公を支えた管仲に匹敵します。
ここで松陰は頼りにならない幕府、朝廷、雄藩ではなく、在野にいる私達一人一人が日本を救う為に行動すべきと書いています。一番、有名な草莽崛起は、この部分に出てくるワンフレーズなのです。また、フレーヘードとはオランダ語で英語では「フリーダム」になります。
ナポレオン1世はブルボン王朝を倒して成立した自由フランスの民兵を率いて対外戦争を仕掛けて、周囲の王政国からフランスの主権を守りました。松陰の叫ぶ自由は個人ではなく国家の自由、独立主権を意味しています。しかし独立主権なくして、個人の自由もないので二つは対立しません。
アメリカは最強の敵になる、ハリスはハッタリ屋だ
さて、外国の様子はどのようなものでしょうか?
私の見た所では、アメリカの日米修好通商条約の処置は、
正規の段階を踏まえたものであるように見ました。
アメリカは建国の手際も見事で生まれて間もない新しい国であり、
最も強敵になるのではないかと思います。
藩から長崎に遊学した人々はイギリスの無力を誇張し
ロシアは大国といえども、少し外交の駆け引きでは迂闊に見えます。
この事については、いかがお考えでしょうか?
最近、江戸城に上ったハリスの恫喝ですが僕は畏れていません。
アメリカ政府がハリスに軍を動かす権限を与えたとは思えないからです。
彼はハッタリ屋で虚言が多いようです。
しかし、幕臣の中にハリスの虚言を検証しようという人が
少しもいないのは、嘆かわしい事です
しかし、もしハリスのハッタリが本当であれば、
我が国はアメリカの攻撃を受ける事になり
誠に由々しき事態だと感じます。
すべて、ハリスのハッタリであればいいのですが
その点については、どうお考えでしょうか?
アメリカは、東洋に一つの拠点もなければ、
ジャワや日本に拠点を持ちたいと願うのは、
ハリスにとっては、やむをえない気持ちかも知れません。
松陰の外国についての考え方が見える点です。特に、建国して70年と若く、表面上ではフェアネスを重んじるアメリカが最強の敵になるという洞察は後の大東亜戦争を暗示するようで、松陰の洞察力の鋭さを窺わせます。また、ハリスを口八丁のハッタリ屋である事を見抜きつつも、ハリスの口上をちっとも検証しない幕府に対してもどかしさを感じている風でもあります。アメリカがアジアに拠点を持たず、ジャワや日本に何とか食い入ろうと考えている点を見抜くなどは、牢獄に入りながらも弟子などの手紙で逐一、海外情勢を探っていた松陰ならではです。
このような身の上ですが是非会って語り合いたい
上記の話は手紙で一つ一つ細かく説明出来ませんが
結論から言えば幕府の政治では日本の沈没は疑いありません。
日本を回復させるには、項羽や劉邦、ナポレオンのような
英雄が出現しない限り無理でしょう。
しかし、このような点に着目する人を未だに見ません。
老兄は、高い見識と斬新な思想を持つ有志であれば、
是非、お考えをお聞かせ願いたいのです。
己未(1859年)四月七日
北山君 座下
恥多き弟寅次郎申す
僕は牢獄に入っている身であるので、
あなたと対面する事は難しい状況です。
それに牢獄のようなむさくるしい場所に来てもらい
お話を伺うと言うのも失礼の極みです。
しかしながら、長州に来る時には必ず会って
心ゆくまで語り合おうと約束した念願なので
なにとぞ、会って話をしたいものです。
細かい事は、私の生徒の品川君に申し付けますので
是非聞いて頂けるように願うのみです。
また、拙著、応接書弁駁も品川君に託しました。
一読して頂けるようにお願いします。
北山安世とは、佐久間象山の甥で、高名な兵学者であり、この頃、長崎から帰る途中であったようです。松陰は、長崎を通して入ってくる海外情報を知りたがっており、また、北山とも直接会って議論をしてみたかったのでしょう。松陰は日本の将来にはかなり悲観的であり、項羽や劉邦、ナポレオンのような英雄が出てこない限り日本は回復できないと嘆じています。そんな松陰も、この手紙から僅か半年後に安政の大獄に連座して刑場の露と消えました。
幕末ライターkawausoの独り言
この手紙は、吉田松陰が獄死する半年前のものであり、前年に、老中、間部詮勝の暗殺計画を立てて失敗し、危険人物として長州の野山獄に収監されていた時期のものです。彼は獄にある間も一日たりとも休まず、思索を繰り返しながら海外情報と国内情報を収集し、牢獄の中にいるとは思えないような、洞察力を発揮していた事が文面から分かると思います。
一部でまことしやかに言われているような、吉田松陰は何の考えもないテロリストであり、日本を破壊しようとしたとか弟子を洗脳した軍国主義の親玉というような狂信者の片鱗はうかがえず、真摯に日本の将来を考える志士の姿しか浮かび上がりません。
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