将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を京都から追放して、
義昭に味方した畿内の残党軍を掃討することに成功した織田信長。
こうして信長包囲網の一角を切り崩すことに成功した信長は、
長年の宿敵てである朝倉義景(あさくらよしかげ)を討伐するべく準備を行います。
さて信長は今度こそ朝倉義景を撃破することができるのでしょうか。
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浅井家の重要拠点が寝返る
信長は京都近辺の足利義昭残党軍を討伐して、
畿内を平穏に導くと久しぶりに本拠地である岐阜(ぎふじょう)へ帰還します。
彼は岐阜城へ帰還するとゆっくりしようと考えておりましたが、
浅井家の重要拠点である山本山城の城主阿閉貞征(あつじさだゆき)が内応してきたとの報告を受けます。
彼は「デカした!!」と報告した来た者に大声で叫ぶとすぐに軍勢をまとめて、
浅井家の本拠地である小谷城を包囲。
織田軍の諸将は山田山へ軍勢を駐屯させ、
信長は自らの本陣を山田山の西にある高月に陣営を張ります。
朝倉軍の守備拠点を陥落
朝倉義景は自ら軍勢を率いて浅井家救援にやってきます。
彼は木之本付近に駐屯して信長の軍勢に対して対峙する形で駐屯。
信長は朝倉軍が浅井家救援にやってくると朝倉軍を撃破するべく作戦を考えておりました。
そんな中大雨が降ってきます。
信長はこの大雨を利用して朝倉軍の拠点の一つである大嶽砦(おおづく)へ攻撃。
朝倉軍は大雨の中信長軍が攻撃してくるとは考えていなかったため、
防備を固めておらずあっけなく陥落してしまいます。
信長はこの砦を守っていた朝倉軍の兵士を解放して次なる作戦を発動するべく諸将へ
命令を伝達します。
信長の次なる命令は朝倉軍の追撃でした。
信長の神ってる予想
信長は朝倉軍の大嶽砦を陥落させたことで、朝倉軍が必ず退却すると予想を立てて、
諸将へ「翌日朝倉軍は撤退するから必ず追撃を行うように」と命令を各諸将へ命令。
信長の命令を聞いた諸将は信長の予想を疑ってしまいます。
その理由は朝倉軍の一拠点を奪っただけで、
朝倉軍全体において不利になっていない状況であるため、
撤退するわけがないと考えていたからです。
その為諸将は信長の命令を聞いていながら追撃を行う準備を怠っておりました。
信長は諸将が自分の意見に賛同しない可能性があると考え、
何度も使者を送って「俺の言うことを聞け」と命令を伝えたそうです。
信長の予想は見事的中!!朝倉軍撤退開始
朝倉軍は信長の予想通りの行動を行います。
それは全軍の撤退を命令したことです。
信長は自分の予想が外れると思っていないため、
自らの親衛隊だけを率いて朝倉軍の背後を追っていきます。
その後諸将達は朝倉軍が信長の言うとおりに撤退を開始し始めたことを知り、
急いで朝倉軍の背後を追撃するべく出陣します。
諸将は先行して朝倉軍を追撃している信長にかなり後になってから追いつきます。
信長は諸将が追いついてくると「てめぇら!!俺の言うことをきけんのか!!」と
そこにいた重臣・柴田勝家(しばたかついえ)を張り倒したとか。
こうして織田軍全軍が到着すると全軍で越前(えちぜん)へ
退却している朝倉軍に追撃を開始します。
刀根坂の攻防戦
信長軍は越前と近江(おうみ)国境にある刀根坂(とねざか)で、
朝倉軍を捕捉すると猛攻を開始。
朝倉軍も信長軍から攻撃を受けると反撃を開始しますが、
織田軍の追撃軍の猛攻によって次々と兵士達は打ち取られてしまい、
朝倉家の一門衆もこの戦いで散ってしまいます。
こうして刀根坂にとどまって抵抗した朝倉軍を撃破することに成功した信長軍は、
朝倉家当主である朝倉義景の後を追って越前へ侵攻します。
戦国史ライター黒田レンの独り事
織田信長は朝倉軍を追撃してついに朝倉家の本拠地である越前に
突入することになります。
長年浅井家とタッグを組んで信長を苦しめてきた宿敵を討つ瞬間がやってくることになり、
信長包囲網の一角を切り崩す最大のチャンスが訪れることになるのです。
参考文献 中公新書 織田信長と将軍義昭 谷口克広著など
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