ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の三国志理想のリーダー像」のコーナーです。
現代でも理想のリーダーについて熱い激論が交わされています。効果的なチームマネジメントを考えると、部下の気持ちを汲み取り、その自主性を促し力づけができるリーダーが理想的です。
的確な指示や命令を下すリーダーよりも、部下にある程度の権限を委譲し、環境に応じて自分で考えさせて行動させるリーダーの方がより強い組織を築くことができるからです。このように部下に権限委譲し自主性を高めることを現代では「エンパワーメント」と呼びます。
経営コンサルタントとして名高いスティーブン・R・コヴィー博士も提唱する「7つの習慣」の中でその重要性について語っています。今回は理想のリーダー像について触れていきます。
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正史の劉備
正史に登場する劉備はほとんど勉強しません。ファッションや音楽ばかりに興味を持っています。さらに劉備は社交的で、豪傑たちと積極的に交わり人脈を築いています。一般的に不良と呼ばれるような若者はこぞって劉備を慕ってきました。
劉備は「任侠の大親分」という感じでしょうか。その中で関羽や張飛との結びつきが強まったのです。一方で劉備は義を重んじ、自分の損得よりも他人のことを一番に考えています。それが劉備=「仁徳の主」というイメージになったのだと思います。
三国志演義の劉備
三国志演義の劉備は線が細いイメージです。清廉潔白で不正を許さず、無欲に漢王室の復興に邁進します。群雄が割拠し、戦乱の時代にあって劉備は清く正しく生きるのですが、正直いって弱い。すぐに泣く。怖くて泣くのではなく、自分の無力さを嘆いて泣くのです。
すると関羽や張飛だけでなく周囲の武将や名士、民衆などが劉備の志に共感し強力に後押ししてくれるのです。周囲を動かす不思議な魅力を持った人物、それが劉備です。仁の人という描かれ方は正史と同じですが、三国志演義では劉備は「涙で天下をとった」ともいわれているほど泣いています。
中華の理想のリーダー像
仁徳や人望、その人間の魅力によって周囲の人たちを自発的に動かす。これが中華の理想とするリーダー像です。中華はもともと能力よりも仁徳を重んじています。本人がどんな成果を出したのかのではなく、自らが動かずとも周囲を動かすことができる人こそが優れた君主なのです。
周囲の人は主君を助けるために何が必要なのかを考えます。そうすることでただ命令を忠実に実行するよりも、個人のやる気は満ち、その能力を引き出すことができるのです。まさに劉備のやり方は、現代のチームマネジメントに通じるものがあります。より強い組織を構築するためのエンパワーメントを劉備は行っていたのです。
民衆との大移動
荊州の客将だった劉備は曹操の侵略を受けて南下します。このときなんと地元の民衆10万人が劉備を慕って付いてきたのです。民衆の進みは遅く、曹操の追撃兵がどんどん近づいてきます。ここで劉備に「民衆を放棄し、一刻も早く江陵を押さえましょう」と助言したものがいました。しかし劉備は「大事を済すには必ず人をもって本となす」と答えて、民衆の放棄を許しませんでした。
これには諸説ありますね。諸葛亮孔明が敗走を単なる敗走とはせずに、勝ちに結びつけるために退却の足を敢えて鈍せたというものもあります。またいずれこれについてはお話をしましょう。とにかく軍の退却に従って民衆も行動を共にするというのは前代未聞です。それだけ劉備は民衆に慕われていたことを示しています。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
常に危機的状況にいる劉備を見放した人もいたにはいたでしょう。しかし、実際に土地もない、地縁もない、兵力もない劉備が蜀の建国に至ったわけですから、それこそ劉備の魅力、リーダーとしてのマネジメントが優れていたということではないでしょうか。
皆さんはどうお考えですか。
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—