後漢王朝の名士である劉表(りゅうひょう)。
漢の「八俊(はっしゅん)」と言われる程の俊才であり背も高く堂々とした人物でした。
そんな彼は霊帝から荊州(けいしゅう)刺史に任命されることになるのですが、
当時の荊州は荒れ果てており太守は各々軍事力をもって割拠し、
賊徒が荊州各地で暴れまわっておりました。
一兵も持たずに単身で荊州へ行った彼はどうやってこの地を統治したのでしょうか。
荊州刺史に任命されるも・・・・
劉表は荊州の刺史に任命されると馬に乗って単身荊州へ赴くことになります。
彼は荊州へ向かう途中にどのような土地であるのか情報を仕入れながら行くと
絶望的な状況であることを知ることになります。
当時の荊州は賊徒達が後漢王朝に反乱を起こして各地の役所を襲っており、
長沙(ちょうさ)の太守は兵力を持っていましたが、
反乱軍を討伐することなく群雄のように割拠しているような状態で、
他の太守達も長沙太守の状態でした。
劉表はこのまま荊州へ赴任しても誰も彼の命令に服従するような状態ではないことに気づくと
ある場所へ向かうことにします。
宜城で三人の名士達と話し合う
劉表は荊州の宜城(ぎじょう)へ向かうと荊州の名士である蔡瑁(さいぼう)、蒯良(かいりょう)、
蒯越(かいえつ)三人の名士を呼びます。
三人の名士達は劉表の元へ集結すると劉表から「私は荊州の刺史として
赴任しなければならないのだが、
今荊州は荒れ放題の状態でこのまま私が行っても誰も私の命令を聞くことはないであろう。
どのようにすれば荊州を上手く治めることが出来るのかあなた達にお聞きしたいのだが、
何か名案はないであろうか。」と相談します。
すると蒯良が一番最初に意見を提案します。
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統治の方法を述べる蒯良
蒯良は劉表へ「民衆があなた様に従わないのは、
あなた様に仁愛の心が不足しているせいでありましょう。
民衆があなた様に付き従っているのに統治することができないのは、
仁義を示していないからでしょう。
しかし現状あなた様は挙兵して賊徒や軍事力を持った太守達を討伐することが先決なはず。
今から挙兵の心配をしているよりもすぐに挙兵して討伐をするべきです。
まだ民衆を従わせること状態にすらなっていないのに、
この事を尋ねることに意味はないのではないのでしょうか」と辛辣な進言。
そして蒯越が間髪入れずに進言を行います。
現状に対する策を述べる蒯越
蒯越は劉表へ「先ほどの蒯良の進言は統治を行う際に重要なことであり、
統治を行う前に賊徒達を討伐しなければなりません。
賊徒の中には私の知り合いがおり、この者を誘えば必ず我らの味方になってくれるはずです。
賊徒の中心人物となっている人達を私が呼んでくるのでこの者達を殺害し、
彼らの配下達を皆助けてやれば民衆や賊徒達は皆あなた様に付き従うことになるでしょう。」と
提案。
劉表はまず蒯越の進言を取り入れて賊徒の中心人物を招かせることにします。
彼は蒯越の呼びかけによって集まった賊徒の中心人物達を全員殺害。
そして賊徒中心人物達の配下達は皆許すことにします。
こうして賊徒を難なく討伐することに成功した劉表ですが全員が集結したわけではなく、
劉表の招きに応じなかった賊徒達は襄陽(じょうよう)に立てこもってしまいます。
彼は襄陽に立てこもっていた賊徒達を討伐するのではなく、
蒯越を派遣して彼らを降伏させることにします。
蒯越は見事に襄陽の賊徒を降伏させることに成功し、
こうして荊州から賊徒達はいなくなることになります。
三国志ライター黒田レンの独り
劉表はこうして荊州から反乱軍や賊徒をなくすことに成功すると荊州刺史として仕事を開始。
彼は蒯良の進言に従って民衆達へ仁愛をもって接し、
統治に関しても民衆達を厳しく締め付けることはしませんでした。
また全国から学者を集めて学校を建設して、学術の都として栄えさせていくことにします。
この方針は成功をおさめることになり、
群雄割拠で荒れていた中原に比べてかなり平和な世界を作り出すことに成功するのです。
劉表の統治方針は乱世でなければ大成功をおさめるところでしたが、
曹操が河北統一を果たし南下してくることになると抵抗しないで荊州は降伏することになります。
もし後漢王朝がしっかりとしている状態で荊州を彼が収めていたら、
名刺史として歴史に名を残していたでしょう。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など
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