董卓(とうたく)が洛陽を占拠して権力を手に入れると、
気に入らない人達を次々に殺害して行きます。
しかし彼は政権を安定させるために名士と言われる人々に色々な事を相談しておりました。
袁紹も董卓から相談を受けた名士の一人ですが、
彼は董卓の相談に乗った後洛陽を去っていきます。
このことに董卓は怒り彼を殺害しようと考えますが、
名士達の尽力によって彼の命は救われることになるのです。
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董卓の相談に乗った袁紹(えんしょう)
袁紹は董卓が洛陽を占拠して権力を握っていた頃もまだ洛陽に残っておりました。
そんな彼に董卓から「相談したことがあるから来て欲しい」と要請を受けます。
袁紹は董卓の元へ行くと董卓から「現在の皇帝はポンコツでどうしようもない人物だから
弟の陳留王(ちんりゅうおう)を皇帝にしようと思うのだがどうだろう」と相談されます。
すると袁紹は「あなた様の意見に大いに賛成ですが、
こればかりは私だけでなく三公の皆様にも相談してから行った方がいいのではないのでしょうか」
と表向き董卓の提案に賛成しつつ、
自分ひとりでは決めることはできないと反論。
すると董卓は「おいおい。俺が劉氏に遠慮する必要があると考えているのか」と述べます。
てか結論出しているなら相談する必要なくないと突っ込みどころ満載な董卓ですが・・・・。
袁紹は董卓の言い分に怒り、そのまま宮殿を退出すると洛陽から脱走してしまいます。
董卓は洛陽から袁紹が脱走したことに怒りを覚えることなります。
袁紹を心配した名士
董卓は自らの権力と政権を安定させるために名士達を尊重しており、
議郎(ぎろう)の何顒(かぎょう)や伍瓊(ごけい)達は董卓から信頼されていた名士でした。
しかし董卓のやり方に不満を持っていた彼らは名門である袁紹の味方で、
董卓と言い争って洛陽から逃亡したことを知ると袁紹を心配して董卓に進言することにします。
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名士の進言
何顒らは董卓と会見すると袁紹の処遇について進言を行います。
彼らは「袁紹はまだ若く皇帝廃立に関しての意見を持っているような人物ではありません。
そのため彼は皇帝廃立と言う懸案の重大さと責任に怖くなって洛陽から逃亡したのであって、
ほかに理由はないでしょう。
袁紹が洛陽から逃亡した事を罪にして、彼に賞金をかけて逮捕するように命じた場合、
彼を慕っている各地の諸侯達は一斉に董卓様に反逆を加えることは自明の理と言えるでしょう。
そこで私たちは敢えて袁紹を逮捕するような事をしないで、
彼に恩を売ってどこかの太守にでも任命させれば、
董卓様に恩を感じて反逆するような真似はしないのではないのでしょうか。」と進言。
董卓は信頼している名士達からの進言を取り入れて、袁紹を渤海郡の太守に任命します。
こうして袁紹を慕っている名士達の尽力によって袁紹は渤海の太守に任命されることになり、
軍事的基盤を手に入れることになるのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
もしもこの時袁紹を慕っている名士達が董卓にビビって袁紹を庇うような事をしなかったら、
もしかしたら董卓は袁紹を逮捕するために各地に彼の首に賞金をかけて逮捕するように命令を下していたかもしれません。
董卓の側に立てば袁紹を捕縛して処刑することで、
反董卓連合軍の結成を未然に防ぐことができたかもしれません。
しかし名士達からの信頼は失われてしまい政権と権力を安定させることは難しかったでしょう。
ですが董卓が袁紹に恩として与えた渤海太守の位が軍事的基盤となり、
反董卓連合軍結成のきっかけとなってしまいます。
董卓は恩をアダで返した袁紹に激怒して洛陽に残っていた袁家一門は、
董卓に殺害されてしまうことになってしまいます。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など
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