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島津斉彬の人柄とは?誰もが納得する名君の心構え

2018年2月17日


 

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島津斉彬

 

NHKの大河ドラマ「西郷どん」で大物ハリウッドスター

渡辺謙が演じることで注目を集めている島津斉彬という人物。

今まで歴史の教科書で小さく名前が載っているかどうかという人物でしたが、

これからは多くの人が注目する歴史上の人物のなるのではないでしょうか。

今回は、開明家で薩摩藩を近代化し、日本を変革していき、

人材発掘の面でも西郷隆盛、大久保利通を見出した島津斉彬の魅力について、

その言行録、名言から見ていきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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藩主になった斉彬の方針 好悪で人を判断しない

島津斉彬

 

島津斉彬は上司とするなら最高の人材かも知れません。

まず、身分や家柄にとらわれがちな江戸時代にあって、

下級藩士であった西郷隆盛、大久保利通という人材を抜擢しています。

大久保利通は、斉彬がいなければ、そのまま埋没していたかもしれません。

西郷隆盛も似たようなものだったでしょう。

とにかく人材の判断は能力主義が一貫しています。

島津斉彬は「君主は愛憎で人を判断してはならない」という名言を残しています。

また、「ご意見箱」を設けて、意見を広く聞き、

能力があると見れば、どんどん重要な仕事与えます。

好悪で人物を判断したり、意見に耳を貸さなかったり、

そんな上司になどには、見習ってほしいと思う人が多いかもしれませんね。

 

斉彬が反対意見を押し切り集成館事業を決行した理由

集成館事業を決行した理由

 

多くの人の意見に耳を傾けるからと言って、優柔不断なわけではないのです。

島津斉彬には日本の抱える大きな問題が見えていました。

江戸時代の幕藩体制というのは、変化、変革を許容しないのです。

社会を変え経済に刺激を与えることを憂慮した吉宗などは、

新しい商品の発明すら禁止しているのです。

徳川吉宗といえば、名君として名高い存在ですが、

その名君も徳川支配体制を維持するために政治をしていたわけです。

そして、その時代は、それでもよかった部分はあります。

しかし、斉彬の時代はそうはいきません。

欧米外国勢力が日本に迫っていました。

すでに、清はアヘン戦争でイギリスに敗れ、

日本にとっては裏山ボウボウ山火事になっているようなものです。

島津斉彬は、日本が近代化しない限り、

危険を回避することはできないと考えたのです。

そしてそのためには、安全保障です。安全保障のためには武器、兵器の生産です。

アヘン戦争では清はイギリスの進んだ大砲に敗北したといってもいいでしょう。

日本もそういった武器、兵器が無ければ安全は守れないと斉彬は考えました。

そして、集成館事業です。

優れた兵器は、すそ野の広い産業、科学に支えられ成立しています。

大砲ひとつとっても、質のいい鉄を大量生産できなければ、保有することができないのです。

そこで、集成館事業では、製鉄のための反射炉の建設や、

様々な産業のすそ野を広げるための工場群が建設されました。

 

反射炉建設に失敗した時に部下を励ました斉彬の一言

島津斉彬の一言

 

反射炉とは非常な高温で鉄を生成する設備です。

今まで日本ではたたら製鉄が主流だったのですが、それとは、技術の水準が全く違います。

西洋からの書物を導入し、反射炉を造ると言っても簡単にできるわけがないです。

日本国内には、蒸気機関を作ってしまう天才・提灯職人もいましたが、

全ての人が天才ではあるわけがないです。

平凡な普通の人たちこそが、島津斉彬の大事業の手足となり動いたのです。

当然、失敗するでしょう。当たり前です。

全てが上手くいくなどあり得る話ではないのです。

そんな失敗をした部下に対して、島津斉彬が残した名言があります。

「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり。

屈することなく研究に励むべし」という言葉です。

要するに西洋人も佐賀人(反射炉をいち早く作った藩です)も同じ人間ではないか、

根本は変わらない。研究を進めればできるということです。

 

決して失敗をなじるわけでもない。

そして、西洋人だからできて、日本人だからできないと思い込みがそこにはないのです。

西洋諸国が進んだ文明、技術を持っていることを島津斉彬は知っています。

それでも、同じ人間であるのだからできないはずはないという思い。

これは、明治以降、日本が近代化していく中で多くの日本人が持っていた思いではないかと思います。

そのことを、歴史上でおそらく最初に気づき、

そして、人を動かす言葉としたのは、島津斉彬が最初ではないでしょうか。

   

部下の短所を指摘するより長所を伸ばせ

島津斉彬

 

薩摩藩の風土は、関ヶ原の正面突破の退却という全体未聞の武勇伝や、

その厳しい教育制度など、非常に武勇が重視されました。

そのよう中、大久保利通は幼少期から体が弱く決して

薩摩の風土の中では目立つ存在ではありませんでした。

それでも、島津斉彬は、お由良騒動で父が処罰され、

自身も蟄居の身となっていた大久保利通を抜擢します。

下級藩士で、しかも頭は切れるが武勇はあるのかどうかわからない。

薩摩の風土で考えれば、主流になれる人材ではなかったはずです。

島津斉彬は「およそ人は一能一芸なきものなし、その長所を採択するは人君の任なり」

という名言を残しています。

島津斉彬は、大久保利通の一芸である「頭脳」を高く評価し彼を抜擢します。

もし、島津斉彬が大久保利通の長所見抜き抜擢しなければ、

その後の日本の歴史は大きく変わっていたでしょう。

 

新しい計画は勢いではなく過去の経験に照らして慎重に行え

 

薩摩藩のイメージというと「そいは、女々しか事か!」という感じで、

うじうじ考えるのは女々しく、とにかく突き進むというようなイメージがあるのではないでしょうか。

確かにうじうじ考えて行動しないのは良くないです。

島津斉彬の言行録に中には「勇断なき人は事を為すこと能わず」という言葉を見つけることもできます。

決断せねばなにもできないということですね。

しかし、一度動き下なら、今度は考えなしで突き進むわけにはいきません。

考えてみれば当たり前で「チェスチトォォォ!!」と気合をいれても、近代化などできませんからね。

島津斉彬は「既往の事を鑑みて、前途のことを計画せよ」という名言も残しています。

過去のことから学び、分析するのは当たり前のことなのですが、

それでも中々できないのが組織であったり、人間であったりするわけです。

島津斉彬のこの言葉は今でも本当に価値のある言葉ではないでしょうか。

 

100%正しい事でもゴリ押しはいけない

 

どんな正論であったとしても、それを押し通していては組織が上手く回りません。

それが100%正しいことであっても、説得し、納得してもらわねば人は動いてくれないのです。

島津斉彬は「人身の和は政治の要諦である」という名言も残しています。

本当に正しいことでも人の和はなければ、だめなのです。

組織は人と人が協力しあえる体制をつくることが重要なのですね。

今も昔も変わりません。

また「善行とても前後をよく考えなければ難を呼ぶ、時が熟すのを待たねばならない」

という言葉も残しています。

正しいことでも、そのタイミングによっては無理な場合があるということです。

なにか、「西郷どん」の主人公である西郷隆盛の未来を予見しているような言葉でもあります。

 

幕末ライター夜食の独り言

幕末ライター夜食の独り言

 

島津斉彬が江戸時代の生み出した最高の藩主のひとりであるという

意見も納得できるのではないでしょうか。

島津斉彬は言葉だけではなく、行動し薩摩藩だけではなく日本を変えようとしました。

父である島津斉興と対立し、藩主になったのは43歳と遅かったです。

そして7年間しか活動をしていません。

しかし、その間、公武合体政策で、義理の娘となった篤姫を幕府内に送り込むなど、

外様であった薩摩藩の立場を大きく変える成果を出しています。

そして、その成果は、薩摩藩に止まらず、日本を変えていく人材を生み出し、

やがて明治維新、そして日本の近代化につながっていったのではないでしょうか。

近代国家・日本の起点となる人物は誰か?

そう考えた時に、島津斉彬はその有力な候補になるひとりであることは確かではないでしょうか。

 

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島津斉彬

 
 

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