新撰組「鬼の副長」と呼ばれ、人気のある新撰組の中でも更に1、2の人気を誇る土方歳三。土方歳三は和泉守兼定や堀川国広など数々の名刀を持っていました。今回は、土方歳三が所有していた愛刀について調べてみました。
この記事の目次
新選組副長土方歳三ってどんな人?
土方歳三は武蔵野国、今の日野市の豊かな農家に生まれました。土方家は、家業として「薬売」もやっていたせいもあるのでしょう。子供のころの土方歳三は「バラガキ」という茨のようなガキ、触るもの皆傷つけるような尖った暴れ者だったようです。若いころの土方歳三は「石田散薬」という切り傷や、打ち身に効くという薬の行商に出ていたとも伝わっています。
土方歳三は、薬の行商をしつつ剣術修行をし、近藤勇の天然理心流・試衛館に入門します。
土方歳三は試衛館の同士と共に、「浪士組」に応募します。「浪士組」は将軍・徳川家茂警護のために組織されたもので、後に功績が認められ「新撰組」となります。この有名な新撰組で副長として活躍したのが土方歳三です。
新撰組の役目は、京都の治安維持でした。土方歳三は、その後の活躍や新撰組内部での規律を守らせる厳しさから「鬼の副長」と呼ばれるようになります。そして、土方歳三は、新撰組の中心メンバーとして最後まで侍として生きます。
幕府が滅び、近藤勇の死後も新撰組を率い戊辰戦争に参加し、戊辰戦争最後の戦いである函館戦争で戦死するのです。
和泉守兼定だけじゃない土方所有の名刀の数々
土方歳三は数々の名刀を所持していました。有名な「和泉守兼定」だけではない、彼の所有していた名刀を紹介していきます。まず「和泉守兼定」ですが会津藩主・松平容保から下賜されたと伝えられる名刀で、土方歳三が所持していた刀としては最も有名です。
「兼定」は会津藩お抱えの刀匠である和泉守兼定の刀です。土方歳三は「兼定」については刀身の長さの違う複数の刀を所持していました。日本史の中で、最も実戦で日本刀が使用されたのは幕末でしょう。そのためか、残っている刀はかなり刃こぼれが多く激闘を物語っています。
そして「大和守源秀國」も土方歳三の愛刀です。会津では「兼定」に次ぐといわれた刀匠の「秀国」作のものです。土方歳三が秀国に注文して作らせたと伝わっています。「大和守源秀國」は京都の霊山歴史館で一般公開されています。
この他にも越前藩の刀匠の作である「越前康継」の作の刀を持っていました。会津藩主で京都守護職にあった松平容保から「葵紋越前康継」を拝領したものです。この刀は、幕府の処刑人であった山田浅右衛門吉利の子である「山田吉豊試之」と刻まれており、吉田松陰などを斬った刀であるといわれています。
【刀入門】打ち刀と脇差の違いとは?
土方歳三は多くの刀を持っていました。その中には「打ち刀」もあれば「脇差」もありました。この「打ち刀」と「脇差」の違いとはなんでしょうか。一般に日本刀とイメージしたときには長い刀が思い浮かびます。その中でも体に対し、刻まれた銘を外側にして身に帯びたときに、刃が上を向いている種類の日本刀を「打ち刀」といいます。下を向いているものを「太刀」といいます。
また、侍のことを「二本差し」と言う言葉で表現するように、侍は長い刀の他に短い刀を腰に差していました。長さは概ね30センチから60センチくらいの刀です。これを「脇差」といいます。打ち刀は「大刀」の一種であり、「大刀」と「脇差」の違いは長さです。侍はこのふたつをセットにして正装していました。元々は戦における予備として「脇差」は存在したのですが、そもそも日本刀が主武器として大活躍したのは、幕末の市街戦以外ありませんでした。
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【天然理心流の教えは?】刀の握りが超我流だった土方歳三
土方歳三の刀の握り方はかなり独特な我流であったのではないかと推測されています。愛刀「和泉守兼定」の柄の磨耗具合を調査したところ、土方歳三は親指と人差し指に力をこめて刀を握っていたことが分かったのです。
これは、現代にも伝わる天然理心流の教えからもずれています。小指を基点として手のひらで握るというのが、天然理心流の教えです。これは、現代の剣道の教えとほぼ同じです。土方歳三はまるで、剣道の初心者や、全く剣の心得がないような人間のように刀を握っていました。しかし、土方歳三の実戦での強さは多くの人が証言しています。彼は強い剣士でした。
実はこの握り方は、手首の自由度が生まれ、非常に実戦的な握りであることが分かっています。これは剣道よりも「スポーツチャンバラ」の握りに近いものです。どこに当てても勝敗は決してしまうスポーツチャンバラは名前の軽さに反し、かなり実戦に近いスポーツです。その握りに近いということは、やはり土方歳三の握りは実戦の中で生まれた合理をもった超我流のものであったのでしょう。
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