大人になると、
「そろそろ親も年だし、親孝行しなくては…」
と考え出す人は多いようです。
「孝行のしたい時分に親はなし」
なんていう言葉もありますから、
思い立ったが吉日ということで
すぐにでも親孝行してあげて欲しいものです。
しかし、「親孝行なんぞくそくらえ!」
と思っている人もやっぱりいると思います。
今回は、親孝行という考え方はどこから来たのか
本来どのような概念なのかを紐解いていきたいと思います。
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儒教は害悪?
そもそも、親孝行という概念は、
孔子が興した儒教に端を発するものです。
儒教に関する経典には、
親は敬うものであり従うものだ
という記述があちらこちらに散りばめられています。
このために日本ではつい数十年前まで
子が親を殺した場合には尊属殺人として
重く罰することが求められていました。
しかし、この法律が違憲だという判断が下される事件が起こった際、
儒教に見える「孝」の概念について疑問視する風潮が起こります。
中にはハッキリと
「儒教は害悪だ!」
と言い切った人もいたことでしょう。
たしかに、「孝」という概念は
虐待事件や毒親の存在が世間を賑わせている昨今では
ナンセンスといえるでしょう。
しかし、儒教の祖である孔子が語った「孝」の概念は、
現代に伝わっているそれとは
ちょっと違うものだったのではないかと
『論語』を読めば読むほど思わずにはいられません。
『論語』で孔子が語った親孝行とは
『論語』において
孔子が「孝」という概念について説明している条は
学而篇に多く収録されています。
それらの中で最初に目に入るのは
「父在せば其の志しを観、父没すれば其の行ないを観る。
三年、父の道を改むること無きを孝と謂うべし。」
という孔子の言葉です。
家父長制度がとられていたその当時は、
子が親を差し置いて家のことを
好き勝手決めるようなことはできませんでしたから、
子は父が生きている間は
父がどのように家のことを取り仕切るのかを
見ていなさいと孔子は言っています。
そして、父が亡くなって3年の間
父のやり方を変えなければ
その子は「孝」であるといえると言っています。
「もし父親がとんでも無い奴だったらどうするんだ!
そいつの真似もするのか!」
という批判の声が上がりそうですが、
おそらく孔子は家庭のことを
よく切り盛りしていた「良き父」のやり方をよく見習い、
そのやり方を受け継ぐことができれば
孝行者といえると考えていたはずです。
また、「孝」について弟子に問われた際には、
「生けるにはこれに事うるに礼を以てし、
死すればこれを葬るに礼を以てし、
これを祭るに礼を以てす。」
とも語っています。
このように、
父親に従うにしても葬るにしても祀るにしても
礼によってしろと言っており、
「孝」とは存外、形式的なものなのかなと思わされます。
しかし、「孝」とは形ばかりのものではないということを
孔子は次のように語っています。
「今の孝は是れ能く養なうを謂う。
犬馬に至るまで皆な能く養うなうこと有り。
敬せずんば何を以て別かたん。」
最近では老いた親を養えば「孝」と考えている人もいるが、
ただ養うだけなら家畜にもできることだから、
親を尊敬する心も同時に持たなければ「孝」とはいえない
と言っているのですね。
また、「孝」について
「色難し」とも言っています。
「表情をつくるのが難しい」
とはどのようなことであるかというと、
親に愛情があれば自然と表情がやわらかくなるものだということです。
逆説的に考えれば、
親への愛情を持つことは難しいものだと
捉えることもできるのではないでしょうか。
これらのことに鑑みるに、
まず親が子に敬愛されるだけの人物でなければ
「孝」というものは存在しえないと
孔子は考えていたのではないでしょうか。
親の愛に応えて自分を大切にするのが親孝行
孔子は孝について
「父母には唯だ其の疾をこれ憂えしめよ」
とも語っています。
父母には病気のこと以外
心配をかけてはいけないという意味です。
もしくは、
「父母は唯だ其の疾をこれ憂う。」
と解釈されます。
父母は子の健康のことばかり心配しているから、
そのことに応えて
自分の身を大切にしなさいという意味ですね。
親というものは子供が病気になれば心配しますし、
そうでなくとも
子どもがずっと健康でいてくれることを願っているもの。
このように自分のことを気にかけて
愛してくれる親のためにも
自分を大切にすることこそが「孝」であると
孔子は伝えたかったのでしょう。
三国志ライターchopsticksの独り言
親のために何か具体的にしてあげるべきだということを
少なくとも『論語』に見える孔子は語っていません。
むしろ、「孝」という概念は、
どこか受動的な印象を受けます。
おそらくそれは
「孝はまず、親の情愛ありき」
と孔子が考えていたからでしょう。
このことが広く世の中の人に知られれば、
「親孝行」がただの重圧ではなくなる日も来るのではないでしょうか。
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