皆さんは中国人といえばどのようなイメージを持っているでしょうか?
アニメに出てくる中国人キャラは男でも髪の毛を後ろに束ねて三つ編みにしていたりもっと露骨なものだと「キン肉マン」に登場するラーメンマンのように頭頂部以外全て剃り上げて頭頂部に残された長い髪の毛を三つ編みに結わえていますよね。
「中国人といえばやっぱコレだよな~」という典型的なイメージがおそらくこんな感じなのでしょうが、昔の中国人が皆喜んでそのような恰好をしていたわけではありません。彼らがそのようなヘアスタイルに至るまでには大変な葛藤があったのです…。
この記事の目次
異民族を見下すも異民族に負けまくりの漢民族
そもそも中国人とひとえに言っても、中国は意外と多民族国家。そのほとんどは漢民族と呼ばれる人たちでしたが、異民族もたくさんいます。しかし、彼らは決して仲良く暮らしていたわけではなく、大昔から侵略したり侵略されたりお互いにいがみ合って暮らしていました。
漢民族は独自の華々しい文化をつくり上げ、いつも異民族を「野蛮」と見下していましたし、自分たちが一番偉い民族だと思っていました。ところが、異民族によって国を脅かされることは数知れず…。辺境の地で鍛え上げられた異民族はなんやかんやで漢民族より強かったのです。
漢民族に代わって異民族が王朝を立てることもザラにあり、漢民族最強なんて鼻で笑われるようになった頃、ついに漢民族にとって最大の屈辱の時代・清が訪れました。
清王朝、とんでもない髪型を強制してくる
清王朝は女真族によって立てられた王朝です。
しかし、彼らはたしかに異民族ではありましたが、漢民族に歩み寄る姿勢を持つ比較的友好的な民族でした。女真族の言葉を漢民族に強要することはせず、むしろ漢民族の言葉を積極的に覚えようとしたり、科挙などの制度を存続させたりと漢民族に歩み寄る姿勢をとっていました。
ところが、それと同時にとんでもないお触れが…。
「皆、髪の毛は女真族と同じように辮髪にするんだぞ!」という内容の薙髪令です。
これを受けて漢民族は猛反発!
漢民族の誰もが「あんな髪型無理!」と強い拒絶反応を示したのでした。
激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志』
満州族、辮髪を「ダサい」と拒否され続けてついにキレる
「あんなアホみたいな髪型無理!」と猛反発し続ける漢民族たち。
そもそも、漢民族にとって髪の毛を剃るということ自体が受け入れられなかったのです。儒教の教えに「親からもらった体は大切にしなさい」とあることから、髪の毛を切るなんてことはとても考えられなかった漢民族の皆さん。
しかし、そんなことを知らない女真族の皆さんは「こっちはお前らの文字とか色々学んでやってんのにナメ腐ってんのか!」とブチギレ。
ついに「頭を残す者は髪を残さず、髪を残す者は頭を残さず!」と言って辮髪を拒否する者が処刑される阿鼻叫喚地獄が始まってしまったのでした。
異民族にとって辮髪は合理的
結局、男子は全員辮髪にされてしまった漢民族。彼らの悲壮感は相当のものだったでしょうし、皆さんも「うわぁ…かわいそう…」と思ってくれたと思います。
しかし、女真族をはじめとする異民族たちにとっては本当に辮髪を拒否する意味がわからなかったのです。なぜなら、辮髪は兜をかぶっても蒸れることが無いとっても合理的な髪型で、いわば男のたしなみのようなもの。漢民族が辮髪を拒否したのを見た彼らは「お前らは兜をかぶらない女子供か!?」と逆に不思議で仕方がなかったようですよ…。
琉球王国も江戸幕府もダサい辮髪を強制されることを恐れた
お隣中国からやってきた辮髪の中国人を見た日本人や朝鮮人も「なにアレ…だせぇ…」と微妙な空気になったと言います。女真族にとっては素晴らしい髪型だったのかもしれませんが、その他の地域ではやはり珍奇な髪型でしかなかった模様。
ところが、「俺らも辮髪にしなきゃならないかも…」と泣きそうな顔になったのが琉球王国の人々でした。彼らは中国と交易を続けるために辮髪にさせられるのではないかとしばらく恐怖におびえて暮らしたそうな。
ちなみに、江戸幕府も「琉球王国の奴らを辮髪なんかにされたら俺たちのメンツが…!」と気が気でなかった様子。しかし、琉球王国で辮髪が強要されることはなく、琉球の人々は今まで通り生活することができたようです。
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三国志ライターchopsticksの独り言
漢民族を絶望の淵に追いやった辮髪ですが、時代を経るごとにソフトな感じになっていきます。当初は頭頂部以外全剃りしなければなりませんでしたが、徐々に髪の毛を残して良い面積が増えていき、清朝末期には前だけツルツルにすれば後頭部に髪を残してOKになっていったようです。しかし、このダサい髪型で数百年頑張った漢民族の皆さんには同情せざるを得ませんね…。
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