【三国夢幻演義 龍の少年】深いい解説その5「別離の日」

2018年11月25日


 

こんにちは。光月ユリシです。拙著「三国夢幻演義 龍の少年」に関心を持ってくださり、ありがとうございます。

三国志や史書を読んでいると、人物名の前後に出身地の記述があることに気付く方も多いかと思います。

この作品でも、それに準じて、できるだけ出身地を明示してあります。

そこで、第5回目は出身地と仕官先の関係について解説しようと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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持つべきものは地縁

 

どこ出身の誰とまで言及するのは、中国人の姓の種類が比較的少なく、同姓同名が多かったからだと思われます。

それに中国は広い。方言の問題もありました。

現代中国でも、方言は千差万別。中国人同士でも意思疎通に困る場合があるそうです。

 

そうなると、同郷というのは心許せる間柄になりやすいわけです。

同じ言葉だし、同じ食生活だし、同じ風俗、同じ思想を共有しているのですから。

当然、それは人間関係や仕官先にも影響してきます。

 

幽州出身の劉備は同じ幽州出身の公孫瓚の下で力を付けていったことは皆さんもご

存知でしょう。丹陽出身の陶謙は同じ丹陽出身の笮融を重用しました。

 

そして、名将・太史慈。彼の出身は青州東莱郡。この東莱出身の名士が劉岱・劉繇の

兄弟でした。太史慈は後に劉繇の下に身を寄せますが、この作品の中では、その前に

劉岱に仕えていたことにしています。地縁の絆を考えた時、あながちあり得ないこと

とは言えません。

 

因みに、後の孫呉政権には青州北海国出身の孫邵(そんしょう)、是儀(しぎ)、滕胤(とうい

ん)の名前が見えます。彼らは劉繇を経て孫氏に仕えていますから、恐らく地縁を頼りに南

下したのでしょう。彼らも太史慈と行動を共にしていたと想像してみると面白いかもしれません。

 

故吏の関係も大切

 

故吏というのは、元の上司と部下の関係です。県令や郡太守といった地方高官は地元

民との癒着を防ぐために、地元からは採用されませんでした。朝廷が地元以外の人物

を選抜して派遣されてきます。

 

出身地は違っても、そこには上司部下の関係性が構築されます。昔上司だった人物が

出世すると、元部下だった人たちにとっては取り立ててもらうチャンスです。取り立

てる方も全く知らない人間よりは、よく見知った人物を優遇するのが人情というもの

でしょう。

 

袁術は故瑯琊相です(確かどこかで見た…)。諸葛玄も瑯琊出身ですから、恐らくは

その時に袁術の下で地方官僚として働いたのでしょう。後に袁術は瑯琊故吏を次々と

高官に抜擢しますが、諸葛玄を予章太守に任命したのも、そんな関係性からだと想像

しています。

 

兵士だって同じ

 

曹操の強兵として知られた青州兵。彼らの母体は青州黄巾賊です。彼らは地元が同じ、

長年同じ境遇を共有してきた運命共同体でした。きっと兵士たちの間に形成されたで

あろう強固な団結力こそが強さの秘密だったのではないでしょうか。

 

また、荊州出身で益州牧となった劉焉は同じく荊州から流入してきた者たちを徴兵し

て、東州兵と呼ばれる精兵を組織しました。

 

後年の夷陵の戦いは劉備が関羽の仇討ちと称し、孔明らの反対を押し切って出兵を強

行することに始まるわけですが、荊州奪還は劉備だけの思いではありませんでした。

劉備軍の将兵の多くが荊州出身者で構成されていて、自分たちの故郷を取り戻したい

という彼らの後押しがあったのです。

 

作中では、陶謙と丹陽兵の関係にも言及しています。太史慈が丹陽兵を連れて、丹陽

を支配している同郷の劉繇の下に向かうという設定は、これら地縁の関係を踏まえて

考えたものです。

 

光月ユリシの独り言史実として残っている記録と記録の隙間を想像するのは楽しいことです。

 

想像を膨らませて史実と史実の間を巧い具合に穴埋めする。まさにそこがこの小説を書く原動力

と言っても過言ではありません。

 

個人的には、太史慈には劉備軍に留まってもらって関羽・張飛に劣らぬ活躍をしてほ

しかったですが、ここは史実どおり、泣く泣く劉繇の下へ行ってもらいました(笑)。

 

太史慈が江南に残り、再び孫策と戦う理由。魯粛が孫策には仕えなかった理由。作中

で明言こそしていませんが、私なりの見解を編み込んでみました。そんなところにも

気づいていただけたら、うれしいですね。

 

小説でも、漫画でも、ゲームでも、そんな歴史のifを想像して楽しめるのも、歴史

物の魅力だと思います。この作品でも、史実と史実の合間に私が想像したifな展開

があったりするのですが、歴史好きな皆様だったら、この気持ち分かっていただけま

すよね?

 

 

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