劉岱とはどんな人?優柔不断が死を招いた?英雄の板挟みにあった悲劇の人物

2019年7月7日


 

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劉岱

 

漢王室の血統を持つ劉岱(りゅうたい
)
。その生涯は波乱に満ちたものでした。誰しもが同情してしまいそうなエピソードに劉岱を身近に感じる読者もいることでしょう。ここでは兗州(えんしゅう)刺史(しし)となった劉岱について解説していきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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漢王室のサラブレッドである劉岱

劉邦はヤンキー

 

劉岱の祖先をさかのぼると「前漢の高祖」につながるという生粋の王族。現代風にいうならば、サウジアラビア王国の王族の末裔のようなイメージです。また、「戦場へ行けば、龍のごとく活躍するであろう」と形容されるほどの人物でした。

 

劉寵と袁術

 

おじさんは会稽太守(県知事クラス)の劉寵で、親戚はエリートの役人ばかりでした。俗に言う「お坊ちゃん」です。

 

程昱に嫌われる

程昱(ていいく)

 

後漢の時代、軍師に「程昱(ていいく)」という人物がおり、劉岱や曹操とともに生きた一人でした。董卓(とうたく)がトップに君臨したとき、朝廷を追い出され「兗州刺史(市長クラス)」と格下げされます。

 

豪族に提案する若い頃の程昱(ていいく)

 

それまでが「侍中(大臣クラス)」でしたから、本人も懊悩したことでしょう。そのときに戦略家として「程昱」を呼びますが、彼は丁重に断ります。兗州の民には慕われましたが、程昱には冷たくあしらわれた形となりました。

 

 

酒好きで曹操に怒られる

橋瑁が決起文を送り反董卓連合軍結成

 

さて、董卓の横暴が激しさを増すと劉岱は袁紹率いる「反董卓連合軍」に参加。左遷された恨みを晴らすチャンスが到来したのです。しかし、酸棗の地へやってくるものの劉岱はパーティーを開くばかりで全く董卓と戦おうとしません。

 

苛ついている曹操

 

見るに見かねた曹操が彼をしかったそうです。やがて、食べ物がなくなると劉岱は何ら成果を上げることなく撤退。戦友でありながら、仲たがいした橋瑁はあっさり殺してしまいます。

 

 

袁紹と公孫瓚の板挟み

公孫瓚を倒した袁紹

 

董卓が阿鼻叫喚の中、絶命すると今度は袁紹と公孫瓚がバトルを始めます。これに困ったのは劉岱。

 

戦う劉岱

 

劉岱は袁紹の家族の面倒を見ており、部下には公孫瓚の息のかかったチームが派遣されています。例えるなら、中国の国家主席の家族が京都を旅行中にアメリカが太平洋艦隊を日本に派遣するようなものです。そこで劉岱は軍師・程昱にアドバイスを求めます。

 

袁紹

 

すると程昱は今でこそ公孫瓚が有利かもしれないが、いずれ袁紹が勢力を盛り返すと予想。袁紹サイドにつくよう諭します。公孫瓚から袁紹の家族を人質として引き渡すよう求められていましたが、断固拒否。手のひらを返したように袁紹を応援します。

 

公孫サン(公孫瓚)

 

ほどなく公孫瓚は袁紹によって敗北。劉岱は一命を取り留めます。お礼にと程昱を引き立てますが、病気だからと辞退されています。その後、曹操から声が掛かったときに程昱は応じていたことから、おそらく仮病だったのでしょう。地元民からは非難されています。

 

 

対黄巾賊

鮑信

 

紆余曲折を経て、黄巾賊の残党を始末する運びとなった劉岱。「兗州(えんしゅう)」の地を守るべく軍議に入ります。そこで部下の鮑信(ほうしん)が戦況を見て、ある提案をします。

 

黄巾賊

 

「黄巾賊の残党と言えども敵は星の数ほどいます。さらに彼らは降参する気配さえない。ここは籠城作戦がよろしいかと」

 

戦いに敗れる劉岱

 

ところが、普段は優柔不断な劉岱。部下のアドバイスに聞く耳を持たず、戦場へと赴きます。あえなく敗北し、劉岱の命はここに尽きるのでした。やがて、曹操が黄巾賊の残党を成敗。劉岱の後を継いで、兗州刺史となります。

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

総覧すると酒好きで何も戦果を上げていないような武将に思えてきます。

 

董卓

 

しかし、董卓へは攻めない一方で黄巾賊へは勇んで出陣するという奇天烈な行動をとる劉岱。リーダー袁紹から家族を預けられていたことから、面倒見の良い武将だったのかもしれません。

 

それほど名の通った武将ではありませんが、共感するところも見受けられます。やはり、戦うよりお酒を飲んで、友と語らう方が気が楽です。

 

袁紹を裏切る張コウ(張郃)

 

きっと年齢的にまだ死にたくないと思ったのでしょう。袁紹と公孫瓚との板挟みでは一度、誘いを断られた程昱にあえてアドバイスを求めています。リーダーシップという点では劣りますが、できるだけ長生きしようという点では評価できるでしょう。

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

市長のような存在である兗州刺史がいなくなったら、市民は困るからです。ただ、疑問点が一つあります。これまでずっと部下や軍師のアドバイスに耳を傾けていたのに黄巾賊の残党討伐では、かえって出陣してしまいました。これが死につながるのですが、冷静に「籠城作戦」をとっていれば、劉岱はもう少し長生きできたかもしれません。

 

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上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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