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【明治の民主化運動】自由民権運動とはどんな運動?

2018年12月16日


 

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幕末 帝国議会

 

今回は明治時代の民主化運動である自由民権運動について取り上げます。政府が民主化運動を制限する法律を制定したことにより自由民権運動は弾圧されましたが、帝国議会の開設と憲法の制定を実現するなど成果を出しています。この記事では、自由民権運動を通して帝国議会の開設と憲法制定までの過程を取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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自由民権運動とは?

 

自由民権運動は1870年代から80年代にかけて、政府に対して民主的改革を要求した政治運動です。自由民権運動を通して薩長による藩閥政治の打破と国会開設を要求しました。自由民権運動に参加したのは明治六年の政変で下野した土佐藩出身の板垣退助(いたがきたいすけ)後藤象二郎(ごとうしょうじろう)ら征韓論者です。板垣退助らは政党を結成して言論で明治政府に対して反論をしました。

 

幕末軍服姿の西郷どん 西郷隆盛

 

一方で、下野した征韓論者の中で、西郷隆盛(さいごうたかもり)江藤新平(えとうしんぺい)らは不平士族の反乱に参加し、武力で明治政府に抵抗しました。西郷隆盛の西南戦争で不平士族による反乱は終わり、言論による運動に完全に移行します。

 

自由民権運動は政府の弾圧・懐柔と内部分裂を繰り返しましたが、大同団結運動を最後に衰退しました。大同団結運動とは1886年から89年にかけて、反政府諸派が反政府運動統一と三大事件建白運動に呼応する形で起こった運動です。大同団結運動は運動に加わっていた後藤象二郎が黒田清隆(くろだきよたか)内閣に入閣したことにより分裂・崩壊しました。

 

 

 

政府はなぜ自由民権運動を弾圧したのか

 

自由民権運動を弾圧した背景には明治六年の政変で西郷隆盛ら征韓論者が下野したことで不平士族が溜まっていたと考えられます。不平士族による反乱だけでなく、言論や集会による運動も盛んになると、明治政府が倒される恐れがあります。明治政府は言論に対する弾圧として、新聞紙条例・讒謗律・集会条例・保安条例を制定しました。民主化運動で言論・出版・集会の自由を制限することで乗り切ろうとしました

 

 

自由民権運動の成果

五代友厚 幕末

 

明治政府は言論・出版・集会の自由を制限する法律を出してきましたが、法律だけで抑えることができなくなりました。北海道開拓使官有物払下げ事件が起こりました。この事件とは、黒田清隆が薩摩出身の政商五代友厚(ごだいともあつ)に官有物を安く払い下げた事件です。この事件に対して政府を批判する声明が出され、法律で抑えることができなくなりました

 

また、自由民権運動では国会の開設を求める動きも活発になりました。1880年、国会期成同盟が結成され、全国的な団体となりました。明治政府はこの民主化運動を受けて10年後に国会を開設することを約束しました。この約束のことを国会開設の勅諭といいます。

 

 

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は明治の民主化運動である自由民権運動について取り上げました。自由民権運動は政府から弾圧を受けたり、運動のメンバーが入閣することで衰退したりすることがありました。弾圧を受けてきましたが、この記事では自由民権運動の成果として国会の開設と憲法の制定を取り上げました。

 

明治政府は言論によって倒れるのを恐れたことから民主化運動を制限する法律を出したことを、この記事で指摘しました。言論によって政権が倒れた事例として、中東で2010年から2011年にかけて起こった民主化運動「アラブの春」を思い出す人がいるかもしれません。

 

アラブの春で、チュニジア・エジプト・リビアなど長期政権が倒れたことで有名です。明治政府が対応を間違えればアラブの春のようになっていたかもしれません。最後に、明治の自由民権運動の後、大正時代に2回民主化運動がありました。大正時代の民主化運動のことを大正デモクラシーといいます。第二次大正デモクラシーでは財産で有権者の資格が制限されていましたが普通選挙制度の導入に成功しました。今後、明治の自由民権運動など戦前の民主化運動について注目したいと思います。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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