三国志の時代、皇帝の近くには必ず宦官と呼ばれる人々が侍っていました。
これは三国時代を問わず、後漢王朝や前漢王朝、キングダムで有名になった秦の始皇帝の時代にも存在していました。
どの時代にも存在していた宦官ですが、一体どのような生活を送っていたのでしょうか。
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罪人と宮廷奉仕人の二種類が存在
宦官の生活の様子や彼らの性格を紹介する前に、宦官の種類について紹介したいと思います。宦官は主に二つの種類が存在していました。
一つ目は罪を背負った人が罰せられて、宦官になったパターンです。
このパターンの代表的な歴史上の人物は「史記」の執筆者・司馬遷が該当します。そして二つ目は宮廷に奉仕するため、自ら志願して宦官になった人々が居ました。上記のパターンで宦官になった人々は多く、後漢王朝を狂わせた張譲ら十常侍などが当てはまります。
宦官は罪人と宮廷奉仕人の二つのパターンが存在していますが、ここで紹介するのは宮廷奉仕人となった宦官達の生活模様や性格について紹介していきましょう。
色々な仕事に携わる宦官
宦官は宮廷に仕えていた為、色々な仕事に携わっていました。例えば皇帝が食べる食事を作ったり、皇帝が使う調度品やテーブルなどを作成したりと意外に多忙な毎日を送っていました。
宦官のプライベートの過ごし方
宦官達は宮廷で仕事をこなしていきますが、彼らにも休日がありました。宦官達は休日のプライベートの時間、一体何をして過ごしていたのでしょうか。ここでは清王朝時代の宦官のプライベートの過ごした方について紹介していきたいと思います。
宦官達はお休みをもらうとご禁制となっているアヘンを吸って過ごしていたそうです。また宦官達はギャンブルが好きで、休日になると様々なギャンブルをして遊んでいました。宦官はこのようにプライベートを過ごしていたそうです。
正直で慈悲深い性格
宦官は後漢など各王朝の時代、権力者とくっつき悪さをして、あまりいいイメージが持たれていませんでした。そのため宦官達の性格もあくどい性格だと思っている方もいるのではないでしょうか。ここでは宦官の性格について紹介してきましょう。
宦官は意外に正直者が多く、他人の物を盗んだりする人があまり少なかったそうです。また宦官は慈悲深い一面を持っており、貧しい者たちへお金を挙げている者が居たそうです。
更に清王朝の時代、宦官は商人たちから人気を得ていました。その理由は紫禁城で働いていた宦官が商人たちの言い値で物を買い、値切るような事をほとんどしなかったからです。このように悪いイメージを持たれている宦官ですが、性格は意外にいい人が多く存在していたそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
宦官は正直者で、貧しい人々へお金を渡す慈悲深い一面などを持っていましたが、母親に孝養を尽くしていたそうです。母親に孝養を尽くした宦官ですが、父親を凄く強烈に憎んでいた反面を持っています。また宦官は団結力が強く、宮廷内で子の団結力を発揮。
後漢王朝の末期、大将軍・何進が宦官を討滅する作戦を決行しようとしている事を探知します。宦官・段珪は何進の作戦が決行される前に何進を暗殺して、宦官討滅作戦を妨害することに成功します。このように宦官は宮廷を外部から犯そうとする勢力に関してはとてつもなく強い団結力を誇っていました。
上記で紹介したように宦官はかなり癖の強い性格を持った人物ですが、つい近年まで中国に実在していました。近年まで生きていた最後の宦官の名前は孫耀庭と言います。彼は1996年12月18日に亡くなったそうですが、清王朝の崩壊期に宮廷へ仕え、清王朝の最後の皇帝と知られる愛新覚羅溥儀に仕えた事もある人物です。
彼の伝記も発売されているそうなので、宦官に興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。
■参考文献 中公新書 宦官側近政治の構造 三田村泰助著など
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