三国志はただの歴史書ではありません。数多くの武将たちの生き様や戦いは胸が躍りますし、当時の歴史や文化も窺い知れるような記述も多くあります。
正史三国志そのものは入門編としては難しい、そういう人たちにはまず三国志演義を見るのもおススメ!そこからぜひ三国志の世界に入り込んで下さい……と言いましたが、ここで少し答えておきたいのが「三国志はいつからいつまで?」という疑問。
今回はこの疑問点を解説していきたいと思います。
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三国志の始まり、終わりっていつ?
三国志の始まりと終わり、つまりは三国時代の始まりと終わりには広義と狭義があります。
広義では184年黄巾の乱の蜂起から、280年の西晋による中国再統一までの100年近い年月を三国時代と呼び、狭義では220年の後漢滅亡、つまりは魏への禅譲から、280年の晋の天下統一までを三国時代と言います。
因みに時代がもっと狭くなると222年の三国鼎立から263年に蜀が滅んだ263年までを三国時代と呼ぶ場合もあります。
このため明確にここからここまでが三国時代、三国志の始まりと終わり、という区切りはありません。一番言われているのが広義である黄巾の乱から中国の再統一までですね。さてどうしてこんな風に始まりと終わりがバラバラになってしまってはっきりしないのでしょうか?
「三国」が何を指し示しているのか?
ここで注目ポイントなのが「三国志」の『三国』部分。三国と言われると魏、呉、蜀が思いつくと思います。しかし実際にこの三国が成立したのは、ぶっちゃけてしまうと三国時代でも後半になってしまうのです。
三国時代の前の時代は、漢と言います。漢の終わりなので後漢とも呼ばれますが、この時代がいつまであったのかも重要なポイント。
漢のトップである皇帝は、220年に魏に後を任せる形で引退しますが、三国の国が成立、つまり三国鼎立が行われたのはその後です。ここまでは三国のトップたちもあくまで漢の一家臣でしかないのですね。
このため、三国時代はこの頃を始まりとすることが多いのです。それが余計に三国志の始まりがいつなのか、ということにややこしさを加えてしまっているのですが……。
つまりはいつが始まりなの?
それでもどこが始まりかははっきりさせたい、そう思ってしまうのも無理のないことです。しかし解答としては「はっきりできない」と答えざるをえません。
広義では既に黄巾の乱の時には漢王朝は終わっていたと見れます、中国再統一までを一つの区切りとして見るのも理解できますね。また狭義ではしっかりと後漢滅亡から新しい三国時代が始まり、その三国全てが終焉した晋の開始となると、これまた筋が通っています。
広義、狭義、共に三国時代の始まりと終わりの主張は筋が通っているので、どれが間違いとは言えません。同時にどれ「だけ」が正しい、とも言えないのです。
三国志の「おもしろさ」
因みに筆者は個人的には三国鼎立から晋の統一までを三国時代、と仮定しています。ただ筆者はそれ以外の説を否定している訳ではありませんし、元々三国志にはまって調べる前までは中国の歴史は全く知りませんでした、お恥ずかしい限りです。
当時は調べたり人に聞いたりしていてもそのどれもが違っていて混乱したくらいでした。しかし、後にこれこそが三国志の面白いところではないかと気付いたのです。
始まりも終わりも諸説ある、多くの人物が出てくるがその人物の批評もただ一つではない、そもそも三国志と三国志演義では大きな違いがある……これらを知って、誰かと話す、考察し合う、それこそが三国志の面白さです。
だから誰もが認める正解を見つけるのではなく、色々な意見を取り入れて自分の中の三国志を形成してみて下さい。その瞬間、ハッとさせられるような三国志の面白さに気付くことができると思いますよ。
三国志ライター センのひとりごと
今回はだいぶ簡略化しながら、三国志がいつからいつまでの話かを述べてみました。しかしこれを調べて行くだけでも筆者の中の三国志の始まり、歴史的な三国志の始まりに差異があったのは否めません。
しかしそれが三国志の面白いところでもあります。皆さんもぜひ一度三国志を熟読してみて、貴方の三国志がいつ始まったのか、を考察してみて下さいね。
参考:
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