三国志のあらすじを分かりやすく紹介

2019年9月20日


 

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始皇帝(キングダム)

 

三国志の物語が始まるのは西暦180年代。

秦の始皇帝が初めて全国を統一した時代からすでに400年が経っています。

 

若い曹操に「天下を掴むのは君だ!」と言う王儁

 

広大な中国大陸を舞台に、個性あふれるさまざまな武将が、自らの理想や欲望やプライドのために、武や知を競ったおよそ100年間の歴史物語が三国志です。特に話の中心となる主要人物を軸に、統一王朝の後漢が崩壊してから三国時代を経て、晋がふたたび中国を統一するまでの流れを紹介します。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

※このあらすじは羅貫中の小説『三国志演義』をもとに作成しています。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志のあらすじ:後漢王朝の動揺

漢王朝と光武帝

 

180年代の中国は、380年以上続いた漢王朝が(途中で15年ほど乗っ取られていた時代がありましたが)、全国的に大混乱の状態となっていました。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

184年に新興宗教の教祖、張角(ちょうかく)を中心として、腐敗した後漢王朝に対する黄巾(こうきん)の乱が各地で発生したのでした。

 

三国志のあらすじ:黄巾の乱

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

反乱勢力は気がつけば数十万人にまで膨れ上がってしまい、王朝の兵力だけでは対応できなくなります。

 

黄巾賊を退治する曹操

 

慌てた宮廷の人たちは、中国各地の勢力者たちに黄巾党を討伐するよう号令を出します。

 

袁術と曹操と黄巾賊

 

その後、張角が病死すると黄巾党の勢力は弱まり、各地の反乱も鎮圧されていきます。

 

董卓の独裁

董卓

 

国全体が一応の落ち着きを取り戻すと、今度は宮廷内での闘争が始まります。

そこに乗じたのが董卓(とうたく)(とうたく)でした。

 

袁家をイジメる董卓

 

自分の操り人形となる新しい皇帝を即位させると、董卓は独裁の恐怖政治を行います。

 

曹操

 

目に余る横暴をはたらく董卓を排除しようという動きが出てくる中、曹操(そうそう)が彼の暗殺を試みますが、失敗し、故郷へと逃亡します。曹操は地元で兵を募ると、中国全土に反董卓連合を呼びかけたのでした。

 

袁紹

 

名門の出身である袁紹(えんしょう)が連合の盟主になり、各地から軍勢を率いた諸侯が集まりました。

 

呉の孫堅

 

その中には、寄せ集めの小勢力とともに参加した劉備や、息子の孫権(そんけん)が呉の皇帝となる孫堅(そんけん)の姿もありました。しかし、反董卓連合は内部分裂によって瓦解し、董卓の独裁は続きます。

 

王允と呂布

 

なんとかしようと考えた宮廷人の王允(おういん)は、董卓の寵臣だった呂布(りょふ)を懐柔します。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

呂布は董卓を殺害。

 

曹操と劉備

 

中国は反董卓連合に参加した有力者を中心に、群雄割拠の時代に突入します。

 

群雄割拠

官渡の戦い 騎馬兵

 

そして、三国志の前半のハイライトの1つ、曹操と袁紹が覇権を争って戦った「官渡の戦い」が起こります。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

曹操軍は袁紹軍の半分以下の兵数だったにもかかわらず、戦機をものにして勝利します。

 

関羽

 

少し前に曹操軍に蹴散らされていた劉備(りゅうび)は袁紹軍に、義弟の関羽(かんう)は曹操軍に参加していました。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

袁紹も頼りがたくなった劉備は、遠戚にあたる劉表のもとに身を寄せ、関羽ともう一人の義弟の張飛(ちょうひ)も合流します。

 

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

この地で劉備は稀代の知略家、諸葛亮(しょかつりょう)を軍師として配下に招きます。ところが、劉表が死去すると、後ろ盾を失った劉備を曹操は攻撃。劉備たちは領民とともに新野へと逃れたのでした。

 

周瑜と孔明

 

新野にも迫る曹操の脅威に対抗するべく、諸葛亮は単独で呉の国に乗り込み、君主の孫権や軍師の周瑜(しゅうゆ)をたきつけ、軍事同盟を結ぶことに成功します。

 

三国時代の船 楼船

 

大軍で押し寄せる曹操軍を、孫権軍と劉備軍は長江の赤壁で迎え撃ちます。

 

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

呉軍の黄蓋(こうがい)による苦肉の策などの計略にはまった魏軍の大船団は、炎の海に包まれ、曹操は命からがら都へと逃げ帰ったのでした。

 

魏曹操と魏軍と呉軍

 

曹操の一強時代が訪れるかに思われていた時代の趨勢は、この赤壁の戦いというきっかけによって、三国時代にむかうことになります。

 

魏・呉・蜀の三国時代

曹操

 

南下を諦めた曹操は、西の西涼地域に駒を進めることにします。

 

法正と劉備

 

一方の劉備は諸葛亮の献策に従い、劉璋(りゅうしょう)が治めている蜀に侵攻し、支配に成功します。

 

劉備と曹操と孫権

 

西涼も自領として中国大陸の北側一帯を(ぎ)の曹操が、南部の東側を呉(ご)の孫権が、そして南部の西側を蜀(しょく)の劉備がそれぞれ支配し、お互いにけん制する三国時代の幕開けとなります。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

ところが早くも均衡は崩れ始めます。劉備が蜀に侵攻している間に、荊州の守備を任されていた関羽が、呉の呂蒙(りょもう)の攻撃を受けて戦死。

 

死期を悟る曹操

 

また、魏では曹操が病に倒れ、息子の曹丕(そうひ)を後継者に指名してこの世を去ります。

 

皇帝に就任した曹丕

 

曹丕は華歆王朗・辛毘の勧めに従い、漢の皇帝に禅譲を迫り、自らが魏の皇帝に即位します。それに対抗して蜀の劉備、呉の孫権もそれぞれが皇帝に即位。

 

ブチギレる劉備

 

関羽や、部下に殺された張飛の仇を討つために、劉備は60万を超える兵力で呉に侵攻します。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

しかし、陸遜(りくそん)の火計を受けて大敗北を喫し、気落ちした劉備は白帝城でその生涯を終えたのでした。

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たまっこ

たまっこ

KOEIのゲームから歴史に興味を持ち始め、 吉川英治の「黒田如水」を読んで以来、歴史にどっぷり。 最近はローマ史がお気に入り。 外国からの観光客に日本の歴史を伝えるお仕事も そのうちできたらなぁ、と思ってます。 好きな歴史人物: ユリウス・カエサル、竹中半兵衛、葛飾北斎、エイブラハム・リンカーンなど 何か一言: 歴史には、 自分には到底できない生き方をした人がゴロゴロいて、 飽くことがありません。

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