梁習は同僚の王思が曹操に意見をして憎まれた時に、人違いで逮捕され、自分は別人であると主張せずに牢獄に入った事があります。
その事を知った王思は、馬を走らせて牢獄まで行き、死刑になるべきは私ですと正直に申告し、曹操はお互いを庇いあう梁習と王思を義士であるとして2人とも昇進させました。
しかし、裴松之はこれを美談とは思わず、むしろ向こう見ずで動議を弁えない行為だと批判します。そもそも梁習と王思は同僚というだけで特別親しくもなく血縁もない梁習の行為は降って湧いた災難を引き受ける必要もないのに受けただけであり、これを古来よりの道義と考えるのは違う気がする。
もし、王思がずるい人間であり、曹操が英明でないなら梁習は大志を全うできず、死に損という事になり、これはとても道義のある行為とは言えないだろう。
孔子は「死には太山より重いものがあり、鴻毛より軽いモノがある」と言っている。本当の君子は生きるも死ぬも疎かにはしないものだ。梁習は向こう見ずで男伊達を気取る所があったのかも知れません。
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