日本の鎧は古墳時代に当時、南北朝の騒乱の中にあった中国大陸より伝来しました。当時の鎧は大きく分けて2種類あり、すべて金属の一枚板で出来ていて胴の部分を覆う胸甲。そして、鉄か皮を小さな札にし、縅(おどし)紐で何千枚と通して鎧にした珪甲です。
高温多湿な日本では硬くて動きづらい胸甲は敬遠され珪甲が発展していきます。鉄が貴重な日本では、やがて小札も革にしなさいと9世紀には詔が下り、珪甲は軽い革の鎧に進化します。革鎧が普及すると日本では、縅と呼ばれる紐を使ったカラーリングが発達しました。
これは鎧の表面に縅紐を出して黄色、青、赤、白、様々に染めた縅紐を規則正しく並べグラデーションをつけていく鎧の装飾です。中国でも古来、珪甲は紐を使って結んでいました。しかし、日本と違い中国の縅紐は鎧の裏裏面を通っていて日本のように表面に縅紐を規則的に並べるカラーリングは発展しませんでした。
中国においては革鎧よりも鉄鎧が好まれた結果、縅紐が頻繁に切れるようになって補修が面倒になったからです。頻繁に紐が切れるようでは遊び心で紐を鎧の表面で揃えてカラーリングを楽しもうという発想にはなりませんからねやがて中国では縅紐は使われなくなり小札は鋲で留めるようになり縅紐を使うカラーリングの文化はついに発展しませんでした。
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