三国志演義では老人として描かれている黄忠。しかし、正史では生年不詳で老人と取れる描写はありません。ただ、どうも黄忠は老人と考えた方が無理がないようです。
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黄忠が老人だったという証拠
黄忠が老人であると裏付ける史料は正史三国志費詩伝にあります。費詩は劉備の命令で関羽を前将軍に任命しに向かいますが、ここで関羽が黄忠が同列の後将軍になると聞いて激怒。
「大丈夫たるもの、遂には老兵と同列にはならぬぞ」と言い放ち辞令を跳ね除けようとします。この老兵とは、老いた兵、または経験を積んで熟練した兵士を意味します。どちらにしても若い人に使う言葉ではないでしょう。
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関羽の「兵卒野郎」発言
関羽は兵卒野郎という意味で、老兵と言ったかも知れませんが、黄忠は劉表により中郎将に任じられていて、曹操の統治時代には行裨将軍であり兵卒野郎と悪口を言うのは無理があります。
そう考えると、黄忠は白髪の老人かはともかく、それなりに老齢の人物だったのではないでしょうか?
参考文献:正史三国志 費詩伝
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