三国志には、皇帝の末裔を名乗る人々が多く出てきます。劉焉や劉表、劉備なんかもそうですね。しかし、そういう人たちが後漢の看板を背負って皇帝になれるかというとこれは、あるルールを守っていないと無理でした。
後漢の皇帝には即位のルール
後漢の皇帝には即位の法則があり、3代目の章帝以後の皇帝は、すべて章帝の子孫から立てられています。章帝の子とは、劉伉、劉慶、劉肇、劉寿、劉開の5人でした。別に章帝が一人っ子ではないのですが、そうなっているのです。
後漢の幼帝事情
後漢は幼帝が続き、何度も直系断絶しているので別系統から、成人した皇帝を迎えてもよさそうですが、トラブルを承知で頑なに章帝の5人の男子から皇帝を探しているので、ここには皇位継承ルールがあったと考えていいでしょう。この法則に照らすと章帝以前の皇帝の血筋である劉備も劉焉も劉表も、後漢の皇帝にはなれない事になります。
三国志ライターkawausoの独り言
劉備は皇帝になったじゃないかという反論もあるかと思いますが蜀漢は後漢滅亡後に興った復興王朝の立ち位置です。劉備は献帝を継いで13代目の皇帝になったわけではありません。
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